「らうん」とは僕がかつて暮らしたパプアの言葉で「旅する・ぶらぶらする」という意味です。光を描く画家、八坂圭が日々を見つめ、愛し、感じた事を福岡からつづっています。


by toktokpng
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

心の道を通って-2-

続きは明日、と書いておきながら、昨日はとうとう書けなかった。
失礼いたしました。

土曜日、浅草のMOA会館でハンドヒーリングのボランティアにいく。
正しくは、岡田式浄化療法という。昨年11月に3級という一番下の認定証を戴いてから中々実際に家族以外にさせていただく機会が無いので、制作もあるのだが土曜日の会に思い切って参加する。

これもまた、スピリチュアルなもので、その仕組みや変化はとても奥深いものだ。
昨日の話の続きで言えば、これは扉で、そしてその奥でもある。

和やかな心持ちをしていると、周りの様子が調和してくる。意地悪な心持ちををしていると、煩わしいことが次々にやってくる。そういう事ってないだろうか。「ああ、なんとなくあるある。」って思う人は扉を共有していると思う。「それって、逆じゃない?周りが先で、それに反応して心があるんじゃないの?」と思う人は、何度も何度も日常の中で実験してみて、自分を観察して欲しい。

もし仮にその実験が上手く行かないとしたら、自分で自分の心を動かせているかどうかも観察して欲しい。どんな人でも、いつでも自分の心を自在に取り扱える人はいない。しかし、まったく心を制御できない人もまた居ないはずなのだ。

心持ちがおだやかに変わると人当たりが良くなるから、周りの人もおだやかになっていくという理屈もあるだろう。意地悪な心の人には周りの人も面白くないから意地悪な事をするという理屈もあるだろう。でも、それは「心持ち」を表情なり行動なりで表現したあとの「人の反応」の事を言っていて、心理学の話になるかもしれない。僕が言う「スピリチュアルなものへの扉」はそうやって近づいてくる。

まだ先へすすもう。

おだやかな心持ちで道を歩いていると、花の香りや色彩に気づきやすくなる。意地悪な心持ちで歩いていると、道すがらにある心を喜ばせ得るものに気づきにくくなる。
これも、個人個人の経験で傍証できる事だろう。というか、してみてください。

おだやかな心持ちでいるときと、意地悪な気持ちでいるときとでは、同じような気候の場所でも、体感温度が違っている。
これも、それぞれの経験として体感できないだろうか。

そして、「心の持ち方で、自分を取り巻く空気の質が変わってくる。」という事を再認識できるなら、それが万人がもつ「扉」だと思うのだ。

非常に理屈っぽく言ってしまったが、「一人一人の心の有り様の総体が、世界の幸・不幸」だと言うための下地を共有して欲しかったのだ。

だから、環境問題とか、経済不安だとか、きな臭い国際情勢だとか、それは他人の心の問題なんだと思っていると、一人一人に跳ね返ってくるわけだ。そう思ってしまう人たちがみんな和やかな心持ちをしていると、大きな問題が小さな一人一人の心の解決によって快方に向かっていくのだ。

だから、他人の事よりもまずは自分が機嫌良くなる事。機嫌良くなれる術を身につける事。それが「扉」だとおもうのだ。いつでも機嫌良くなれるようになった人は周りの人を機嫌良くできる術を身につける事。そうやって、一人一人が中心にある、柔らかい輪が広がって、世の中の不機嫌を掃除していく。

それが出来て、物質・精神ともに豊かな文化が訪れるのだろう。

精神文化の面では、きっと100年先、200年先の未来からみると、ちょうどここ100年くらいが原始時代のように回想されるのではないだろうか。

それは、それで、開き直って、僕らは精神的に「原始の人」なんだってことで、ためらわず試行錯誤をしていっていいんじゃないか。それが、最近のスピリチュアルブームなんじゃないか。そういうのに乗り切れない人も、自分の「心」の存在の不思議さには目を向けて、神々と語り合ってもいいじゃないだろうか。

写真は先週12日の熱海の日の出。
皆に、あったかいの届け〜。
d0023742_901816.jpg

[PR]
by toktokpng | 2007-02-18 09:06 | 日常