「らうん」とは僕がかつて暮らしたパプアの言葉で「旅する・ぶらぶらする」という意味です。光を描く画家、八坂圭が日々を見つめ、愛し、感じた事を福岡からつづっています。


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「薔薇十字会の神智学」より その3

今日は庭に芝を貼りました。しかし、ぼんやりうっかりしてて、庭の広さを間違っていて、注文した芝が足りませんでした。あはははは。

さて、今日の一節です。

「アストラル体自身はどこから誕生するのでしょうか。私たちを宇宙に織りこんでいる宇宙的アストラル組織から誕生したのです。

この関係は、私たちの体の中のアストラル身体性の小部分と、すべての人間、動物、植物、鉱物、そして、惑星までもが振動し、そこから生まれ出る巨大なアストラルの海との関係に喩えることができます。

アストラル組織とアストラル体の関係は、器の中の液体とその一滴との関係に比すことができます。

一滴のしずくが器の中の液体から存在しているように、一個のアストラル体はかつて宇宙のアストラルの海の中に含まれていたのです。」

ちょっと長いですね。

この「薔薇十字会の神智学」という講演集は、全14回の講義をまとめたもので、紹介した節は、3回目の「元素界と天界・目覚めと眠りと死」というタイトルの章に書かれています。

人は何のために眠るのか。

それは、死と再受肉の関係と相関関係にあるという事が述べられています。

死と再生については、この一連の日記ではなるべく触れないようにいたします。

では、眠りについて。

人は地上で活動している間、アストラル体とエーテル体、肉体と自我が一体となって働いています。

そして、地上ではさまざまな情報や体験を肉体とエーテル体を通じてアストラル体が受け取っていきます。

そのような体験は、アストラルの海の中での完全な調和とはすこし質が異なるので、定期的にアストラル体は、肉体とエーテル体から分離し、その体験内容をアストラルの海に持ち帰って、調和の状態を受け取ってくるといいます。

ですから、寝ている間に、人のアストラル体は若返りを果たし、目覚めの時には人は爽快感を感じるといいます。

この、エーテルからのアストラルの分離という事がうまく行かないと睡眠障害ということが起きてくるのですね。

これを基本情報として、アストラルの海について深めてみましょう。

アストラルとは言葉をたどれば、「星」を意味します。アストラルの海とはどんなものでしょうか。

アストラルの海は、あまねく存在しているわけですが、それが一つの大きな星のようなものだと僕はいつもイメージします。そこには地上で縁のある人のアストラルも常に解け合っていますし、故人やこれから生まれてくる人、別の存在世界で生きている人のアストラルもただよっています。

ここへ、僕らは毎晩帰り、多くのアストラルと信じられないスピードで情報交換をし、そこで得た情報を地上世界の調和と発展のために生かしているのです。

いままで人は無意識的に情報の受け取りと行動を行っていたわけですが、そのようなプロセスを心静かに観察し意識的に行っていこうとする態度がシュタイナーの世界観にはあります。

なにか突拍子もない行をするというようなことではなく、朝起きて、伸びをする、そのときに、例えば「ああ、この伸びという動きは、まるで若葉が芽吹く植物の行為そのものようだ」と意識する事。

こういうことが「伸び」という行為の中に含まれているアストラルの情報に意識的である。ということとつながります。

禅の公案に、作務のなかに悟りを見いだすという事がありますが、日頃日課としている掃除や通勤という行為のなかに、アストラルの海からの情報という事を意識する事で、「今、此処。」という完全性、生きている意味にふと気付く事があるのかもしれません。

シュタイナーは言います。

「(前略)宇宙のアストラル体から携えてきた印象と、物質界からあてがわれた活動を通して外から受ける印象とにわかれています。人類が地球進化の目標に達したとき、この二つの面は調和されます。」

睡眠と覚醒を繰り返しながら、地上で活動する事が、全体の調和へと寄与していく。

その事を意識するだけでも、どんな状況にあっても、「今、此処。」というものを生かされている事への感謝と喜びがあふれてきます。

最近、僕はヨロコビトと名乗る事を心の中で宣言しました。

自分の中で、「そんなんだよー」って思うだけですが。

完全な調和と愛と光りに満ちた、宇宙のアストラルの海の事を思えば、いつでも人は自由なイマジネーションを得る事が出来、そのイマジネーションは、やはり、アストラルの海に美しい花となって実際に生まれでるのです。

最後に、一緒に、アストラルの海を旅してみませんか。


どうです、この広大な海・・・。僕らはどこへでもいき、誰とでもあえます。アストラルは天界とよばれる存在域に浸透していますが、アストラルを通じて、僕らはその世界をもかいま見る事が出来ます。主に、われわれは右脳とイマジネーションをつかって、このアストラルの海を実際に旅する事が出来るのです。

みてください、蝶が飛んでいます。水草が揺れているという事は水中なのかもしれません。あちこちに、きらきらと光を発する花が咲いています。そこに集まる人々の顔には笑みがあふれ、みな若く健康で、光り輝いています。常に美しい音で満たされ、その音はまた、アストラルの乗り物でもあります。地上で起こる事は、この世界にもすべて反映され、その事を通じての調和への道も常に計算され、指し示されています。われわれはその一部を持ち帰り、生活の中において、還元していきます。

大きな事をなす事が、必ずしも全体の調和を作り出すための最適な道であるとは限りません。

アストラルは、ただその日、街路樹のハナミズキの花の美しさを感じ取る事をあなたに情報として与えているのかもしれませんが、その事が、どれほど大きな結果をもたらすかは、われわれには計り知れないのです。

現在に至って、シュタイナー翁が生きた時代より、さらにこのアストラルを通じた情報の早さというものは早まっていると、僕個人は感じています。

ですから、われわれは一層、直観と愛に基づいた行動を、慣習の中から生み出していく事を求められているように感じています。


今日も、長文になってしまいましたね。

読んでくださった方、ありがとうございます。


それでは、また。









 
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by toktokpng | 2008-04-22 18:08 | 創作