「らうん」とは僕がかつて暮らしたパプアの言葉で「旅する・ぶらぶらする」という意味です。光を描く画家、八坂圭が日々を見つめ、愛し、感じた事を福岡からつづっています。


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「薔薇十字会の神智学」より その5

親愛なるみなさん、こんにちは。

今日は、スターバックスのお店から更新です。
ここ、天神西通り近辺にはいったい何軒あるんだ?ってくらいスターバックスがあってびっくりしています。

多様性を、もちましょうよ。わはははは。

さて、今日の一節です。一節ですが、この前後、とても重要な事が書かれているので、引用して最後に附しておきますね。興味とお時間のある方はお読みください。

「- 前略 - どこかで何らかの出来事が生じると、この出来事から高次の世界に一つの作用が及びます。

誰かがこの出来事をありのままに語りますと、その出来事自体から発する形象に一致するアストラル的な形象が語り手から輝き出、この二つの形象は互いに強めあいます。

強められた形象は霊界をより有機的に、内実豊かなものにします。」

たとえば、「昨夕、娘がナスタチウムや幾つかの花を庭から積んできて、母はそれをガラスの花瓶に生け、息子が片付けられたテーブルの真ん中にそれを置いた。今朝、花は朝の光をうけ、まだ、美しく咲いていた。」ということを語ります。

この事実を語ることが、昨夕から今朝にかけての日常の微笑ましい断片という事実が生み出した霊的な実相を、さらに強める働きをしている。そういうことなのです。

このことを、僕は、いつも味わっています。

絵を描きます。線をひきます。感じのいい線が描けたとします。そのとき、「ああ、感じのいい線が描けた。」ということを、改まって認識するのです。そのとき、いい音楽がなっていたら、「ああ、音楽が僕の耳に心地よい。」という事も一緒に認識します。

そのようにして、僕は、その時空でしか造り出す事の出来ない霊的な時空をアストラルの世界に創造していくのです。

その創造が、生まれてくる絵をさらに豊かにしてくれます。

事実を語ること。ありのままに。

事実を語られたときに、「だからなんだ。」と、言ってしまう心は、建設者の心とは言えないのです。

「あなたの声は美しい」「君の目は輝いている」「この店にはコーヒーの香りが満ちている」

事実を語ったものが、「何を当たり前の事を。」と、冷たくあしらわれても、彼は真実、偉大な創造を為しているのです。

では、詩人はなにを創造しているのでしょうか。

いま、ここにない物を詩人は見ます。

スターバックスのソファに座りながら、詩人は青空を吹き抜ける風を感じる事が出来ます。

・・・・・

もうすぐ

さつきがやってくる

どのそらよりも透き通った

さつきのそらを

僕は

吹き抜ける風として感じる

白い花たちを

子牛の背中を

撫でて

こずえで軽妙なダンス

太陽に手をふる

若葉たち

それにこたえる

まばゆいきらめき

さあ僕は旅をつづけよう

谷をこえて

君たちの住む

川のほとりの町まで

・・・・・


このようなイメージを得る事は、アストラルに何を生み出しているのでしょうか。

愛と光りに満ちたイメージは、アストラルに花を咲かせます。そして、この詩の内容を追認する人がいた場合、そのことが、アストラルの花をさらに輝かせることになるのです。

この事が、ファンタージェンの創造的行為として、また別の箇所で語られます。

この事が芸術と芸術における人類進化への奉仕について、とても温かい示唆をあたえてくれます。

芸術を鑑賞する事の創造性ということ。この事を知ったとき、人生は格段と豊かさと喜びにあふれますね。

この日記を読んでおられるみなさんは、もうすでに、このような思考の回り道をせずとも、すでに、その創造的行為の意味に気付かれているとはおもいます。

あらためて、追認です。

いやあ、生きている事は、どんな時も素晴らしい。

なにがおこっても素晴らしい。

どんな時も素晴らしい。

素晴らしい。

ただ、あなたに感謝です。

今日も、長文付き合ってくださった方、


ありがとうございました。



最後に、抜粋を附しますね。


________________________



 誰かに石を投げつけると、石を投げつけられた人は痛みを感じるが、誰かに対して抱く憎しみに満ちた考えは相手に痛みを感じさせない、と唯物論者は信じています。けれども、真に世界を認識している人は、憎しみに満ちた思考が石を投げることよりずっと強大な作用を生み出すことを知っています。人間が考え、感じることはすべてアストラル界に作用を及ぼします、どのように愛に満ちた思考が作用し、また、どのように憎しみに満ちた思考がまったく異なった作用を生み出すかを正確に霊視することができます。愛に満ちた思考を放つと、その思考は萼(がく)のような形の光になってエーテル体とアストラル体の上に愛情のこもった仕方で漂い、活気と祝福を与えます、憎しみのこもった思考は矢のようにエーテル体とアストラル体に突き刺さり、傷つけます。

 このことに関してはさまざまな観察ができます。真実を語るか、嘘をつくかでアストラル界に生じる現象には大きな差異があります。思考は何らかの事象に関連し、その事象と一致することによって真実のものとなります。どこかで何らかの出来事が生じると、この出来事から高次の世界に一つの作用が及びます。誰かがこの出来事をありのままに語りますと、その出来事自体から発する形象に一致するアストラル的な形象が語り手から輝き出、この二つの形象は互いに強めあいます。強められた形象は霊界をより有機的に、内実豊かなものにします。このことが人類の進化にとっては必要なのです。出来事に一致しない虚偽を語りますと、語り手から発した思考の形象は事実から発した形象と反発しあい、相互的な破壊作用が生じます。虚言から生じるこの爆発のような破壊作用は、あたかも潰瘍のごとく、有機体を破壊してしまいます。虚言はすでに発生したアストラル的な形象、これから発生すべき形象を殺し、人類の進化を阻止するのです。実際、真実を語るものは人類の進化に奉仕し、虚偽を語る者は進化を妨げています。

    (「薔薇十字会の神智学」R.シュタイナー 平河出版社 P80-P81より抜粋)
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by toktokpng | 2008-04-24 17:04 | 創作