「らうん」とは僕がかつて暮らしたパプアの言葉で「旅する・ぶらぶらする」という意味です。光を描く画家、八坂圭が日々を見つめ、愛し、感じた事を福岡からつづっています。


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「薔薇十字会の神智学」より その12

みなさん、ご機嫌いかがですか?

いよいよ、この連載も明日で終わりです。

日記は短く、気軽な物に。

そういうポリシーを大事にされてる方の日記を読むと、心がすぅっとしますね。

長い文章を、こんなところで読んでいただく事、なにか、場違いの様な観もありますが、袖すれあうも他生の縁。

おもわぬところで、プラチナのようなインスピレーションに出会う事もあるかもしれません。

本当に、辛抱強く付き合っていただいた皆様、ありがとうございます。

さて、今日の一節です。


「善悪いずれかの方向に向かおうとする力を認識しようとしない者は、人間の義務を怠ることになります。認識のための認識はエゴイズムです。高次の世界を見るために認識しようとする人はエゴイストです。この認識を日々の生活において直接実行しようとする人が、人類の未来の進化に奉仕しているのです。霊学の中に存在するものをつねに実行に移すことを学ぶのには、非常に大きな意味があるのです。

霊的な運動は未来の人類を形成するというはっきりとした目標をもっていることがおわかりになると思います。

—中略—

かつて、現在のアイルランドの近くにあったアトランティス大陸から、進化した人々が新しい文化を創造する為に東に移動していったように、現在、私たちは、人類が大きな霊的上昇を遂げる第六文化期の動因として働くという任務を帯びているのです。」


霊的な運動ということを、スピリチュアルと置き換えて捉えていただいても良いと思います。実に、ここ数年の精神文化への受容と認識のたかまりは、10代の頃からシュタイナーの本とともに歩んできた僕には、隔世の感を覚えます。

昨日のコメントにもありました、安岡正篤さんの陽明学、また古神道の知恵、出口王仁三郎などは、とても似ていることを述べていたりもします。そのほか様々な情報がありますが、共通する部分、補いあう部分、現時点では、矛盾するように見える部分、いろいろとあると思います。

そして、昨日と今日、霊的な認識とそれに関わる活動に隣り合わせているエゴイズムについて紹介しました。

シュタイナーの霊学は非常に多面的です。折にふれ、別様な言葉をつかって、ある霊的事実に光をあてることもあります。

その一つに、キリスト衝動という事があります。連載の最初に、人間の7つの存在領域について紹介しましたが、そのなかで、感覚魂・意識魂・悟性魂という事を紹介しました。

アーリマンという魔の存在があります。これは、ゾロアスターの中で述べられる存在です。これが、悟性魂というものに働きます。

ルシファーという魔の存在であった者があります。これは聖書のなかで触れられました。このルシファーが、感覚魂というものに働きかけます。

この二つが過剰に働きかけると、悟性魂は行き過ぎた唯物論的世界をつくりだし、感覚魂は、放蕩と怠惰の悦楽を生み出します。

この二つの間に存在するのが、キリストです、という述べ方をします。

それが、意識魂を突き動かすとき、それをキリスト衝動と呼びます。

これと、よく似た概念が、仏教で語られます。それを二河白道といいます。

阿弥陀如来が河の向こうに立って、招いておられる。人は河の前にたって、目の前に赤く燃えたぎる火の河と、凍てつく様な青く冷たい河を見る。その真ん中に、ただ一本、どちらにも属さない白い道が一本つづいている。人は、ただ、阿弥陀を見つめ、その一本の道を行け。と。

このような、イメージが宗教のなかで語られてきました。

そして、シュタイナーは宗教を超えた精神運動の道筋を整えようとしました。

さて、時代は汎宗教の時代へと進んでいきます。そのように、ある一つの宗教から独立する事のできる意識は、また、一方で、宗教の伝えてきた叡智を、真新しい形で受け取る事が出来るようになります。

それは、宗教者にしても同じで、霊的認識をふかめることで、より一層その信仰に基づきながら、とらわれることなく、事実に即して歩む事ができる時代になっています。

ここで使った言葉を、誤解のないように再度使って述べるならば、二つの河の真ん中に白い道を渡し、たもっている力は愛であり、それを弛むことなく歩ませるのはキリスト衝動なのです。

そのような認識において、日常を生きるとき、それぞれの人体と日常は、神殿となります。

神殿のなかでの学びと実践を、われわれ現代人は、遁世的な生活を必要とせずに歩む事が出来るのです。

その、具体的な方法と、機関を準備する為に全人生をかけたのが、ルドルフ・シュタイナーなのです。彼は、農業・医療・経済・芸術・そして教育の分野において、現代人が、現代人としての生活様式を放棄する事なく、精神的に充実させていく為のいくつも道筋を整えました。

それに、呼応するようにして、20世紀後半から現在にいたるまで、多くの精神活動が起こり、この世界に調和をもたらそうとしています。

温かい目で見守りましょう。

さて、われわれには、何が出来るのでしょうか。

芝生を貼り終わったアパートの庭の先には、雑木林があります。楠、栗、琵琶、椿、蜜柑、茶の木などが、雑然とさざめいています。

今朝、いそがしく朝の支度をしているとき、ふと、手を止めて、打ち捨てられた、林の木々たちが、それでも、果実を用意しているのを感じました。

それぞれの植物が、五月特有の薫りを発します。それは、生殖にかかわる薫りです。

僕の目は、光をみて、命をみて、そして、自分の子供たちをみて、宇宙の物語が一瞬にして展開し、喜び、感謝を胸に抱きます。

そのような連続が、われわれに出来る事です。

おおきな事ばかりが、世の中をうごかす運動ではないのです。

さあ、12回目が、おわります。

どうか、この日記において、あなたの毎日をことほぎさせていただけますよう。

ひとつ、ひとつの神殿に、心よりの感謝を送ります。

ありがとうございました!









 
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by toktokpng | 2008-05-02 11:15 | 創作