「らうん」とは僕がかつて暮らしたパプアの言葉で「旅する・ぶらぶらする」という意味です。光を描く画家、八坂圭が日々を見つめ、愛し、感じた事を福岡からつづっています。


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子供という奇跡

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今日は保育参観。

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話しはいつものように飛びますが、「凡庸」と「中庸」という事を思いました。

生きる事への感謝と、宇宙に満ちた愛の奇跡に委ねて生きる新しい僕らの日々にとって、「中庸」であること、こだわりのない事は、どこまでもどこまでも重要な事です。

けれど、中庸ということと、凡庸という事は微妙に違います。
微妙なのです。

中庸を歩む姿が凡庸に映る事も、凡庸な生き方が、中庸を体現してることもある。
ex(外れた) centric(中心) エキセントリックなのでなく、super centricな在り方が、非凡に見える事もあります。

参観のあとは、保護者会があって、「子供を褒める」ということをテーマにグループディスカッションの時間を持ちました。

僕は口癖のように、「すばらしいね、愛しているよ」と子供たちに声をかけています。
理由は特になく、溢れてくる言葉です。

僕のグループのお母さん方は口をそろえて「あまり意識的に褒めてません」とおっしゃいました。

だけど、どうでしょうか!
お母さんたちの輝きを観ると、泣き出しそうなくらい素晴らしい子供たちへの愛が輝いている。

けれど、それらを表出させないように、家庭でも、社会でも、クセづけられて来たのでしょうか。

「子供という奇跡」

僕はそれ自体は、なんの恣意的判断も理由もなく、無批判に受け入れられるべき始点だと思っています。
どんな物質的プロセスも、人間関係のドラマとも独立した、ひとつの「存在」という奇跡です。

すべての、一人一人が。

その「奇跡」にさまざまなドラマや理論の札を付けていては、見えて来ない輝きがあると思っています。

札を、とりましょう。

小学生になるまでに、「出来ていなければならない幾つかの生活習慣」という札があったら褒められないというのなら、まずその札を外して奇跡を眺めましょう。

「子供という奇跡」は「地上の社会性」側に従属するものではありません。
7年程の時間をかけて、愛深い「奇跡」が徐々にあわせてくれている、プロセスがそこにあります。
しかし、それは、奇跡そのものにとって、最重要課題ではありません。

子供という奇跡を、凡庸なものとみるか、子供との時間のなかに中庸を見いだすか。

そこには、無限の魂の学びが隠されているように思います。



さあ、今日はもう、保育園はおしまい。お家に帰ってたくさん時間があるね。

ひいばあちゃんと散歩しよ。

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ばあさん、植え込みの花はあんまりちぎらないでね。

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すこしくらいなら、いいけどね。
碧くんもちぎったんだね。

「おとうさんにあげる」

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ありがとう。












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「四大」 文・絵 八坂圭

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by toktokpng | 2009-06-13 14:50 | 日常