「らうん」とは僕がかつて暮らしたパプアの言葉で「旅する・ぶらぶらする」という意味です。光を描く画家、八坂圭が日々を見つめ、愛し、感じた事を福岡からつづっています。


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カテゴリ:カルチャー( 32 )

3 -やまなみ-

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3 -やまなみ-

僕らの目の前の空間を、とても巨大で美しい物が切り取る。
高さと広さと優しさと険しさを圧倒的な印象で与えてくれる山。
山のフォルムは3で出来ている。

僕らは山を知りたくて山に登る。
僕らは山を知りたくて山を描く。

山は僕らの中にある何と呼応しているのだろう?

登っても描いても、いまだにそれが解らない。

山の中にいるとき、僕らは「3」の中にいるのかもしれない。
「3」の叡智が聞こえてくるのかもしれない。
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by toktokpng | 2007-04-10 07:28 | カルチャー
今日4つめのイベントは、以前買う事に決断した高島進さんの「鉛筆削り」という作品を受け取りにいった事。

過去4回個展をさせて頂いたギャラリーゴトウが今月で移転する事になった。そのため10数年のギャラリーの歴史の中で後藤さんが印象に残った作家の小品を集めた展示を3月にやっていた。今回僕が呼ばれなかったのは、少し寂しいけれど、呼んでもらっても仕事が忙しすぎて参加できなかったかもしれない。
その小品展のなかに僕が買う事にした作品はあった。

6年ほど前、僕が初めてギャラリーゴトウで個展をやったときに「なびす画廊」で個展をやっていた高島さんのDMをみかけ、前から気になっていたので見に行った。そこには祈りのような静謐な絵画がかけてあって、一瞬で魂の高さにやられてしまった。
僕のDMもそこにおいて帰って、高島さんは僕の個展にも来てくれた。直接会えなかったが好感をもってくれたであろうコメントを残してくれた。

その後、僕は「空想ガレリア」という今はなき、とても趣味のいい画廊をみつけ、その画廊のオーナーに絵の話や銀座の歴史を聞く事がとても楽しくてよく入り浸っていたのだが、そこでまた高島さんとつながった。「空想ガレリア」でつながった作家さんはどの方も静かでユーモラスで見ていて心が高まるような作品を描かれているかたばかりだった。

高島さんは、色鉛筆に番号をつけ、サイコロをふって出た目の色鉛筆で長方形を一周描き、描き終えるとまたサイコロをふり、出た目の色鉛筆で先の長方形の外周をなぞっていく、という手法で画面を仕上げていく作家だ。その気の遠くなるような作業で100号以上の作品をつくっていくのだからすごい。
ぼくが買う事にした作品はとても小さい。だけど、「鉛筆削り」の名の通りとても先端が鋭い色鉛筆で描かれたであろう細い描線が和紙の上を占めているとても精緻な作品だ。高島さんもお気に入りの一点だと言っていた。

とはいえ財布はほぼ空っぽ。何回にも分けて後藤さんの口座に払っていくことにする。

見ていると、心の波が整うような作品。
確実に絵によって人の生活は質が変わる。

僕の描く物もどこかでそういう役割をもってくれているだろう。
さて、もっと作らないと!
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by toktokpng | 2007-04-07 21:23 | カルチャー

MOAと統合医療

日曜日。今日はMOAで統合医療についての学びがあった。
石原都知事や大西ひでお都議、高輪の東京療院の院長が来て話を聞かせて頂いた。

統合医療というのはいわゆる西洋医学の範疇に捉えきれないけれども、実際に人々を癒し救っている世界中の民間療法を医学の現場に取り入れていこうという考え方だ。そういう療法を西洋医学に替わるものとして「代替医療」と呼ぶ事もある。また、西洋医学の足りないところを補っていこうという事で「相補医療」と言う事もある。

米国立保健研究所(NHI)では、いわゆる西洋医学では解決できない病気・事例が多い事、また、西洋医学だけでは設備資材が莫大にかかってしまい、メディケア(国保みたいなもの)などの将来的な経済破綻を招くという事で、世界中の有効な代替医療を研究し、分類し、患者さんが自分の症状・状況に応じて西洋医学以外の選択肢も考慮に入れられるよう制度の整備を進めている。

例えば、よくお医者さんが「風邪を治す薬を発明したら、ノーベル賞ものだ。」と言われる。現代の医学は風邪の症状を抑える事は出来ても「風邪」自体を治す事は出来ない。多くの代替医療では風邪は人間の免疫系が起こす自家浄化作用だと捉えている。体の中に堆積した不要なものを熱や痰、下痢や痛みとして発散しているのだ。だから、風邪の症状を止めてしまう事は、不要なものをずっと溜め続けるという事になるので、大病の誘因となる事もある、と、考える。
また、「不定愁訴」といわれるような症状にも西洋医学は弱い。血液検査をしたり、血圧を測ったり、尿をとっても特に数値に異常はないのだが、患者さんとしてはどうしても体がすぐれない、気分も悪い、肩が凝る、腰が痛い、など、病名の付かない訴えだ。生活習慣病などと言われる症状もこういうところから始まったりする事もあるのだが、病名が付かないだけに不定愁訴は病院では取り扱いにくいらしい。
代替医療、特にホリスティック医学と言われるような考え方では、人間を体だけでなく、それを取り巻く環境、心、また一つの精妙なエネルギー体として捉える。そういう中では、不定愁訴はその人の状況を知る為に重要な足がかりとなり、またそういう症状を癒していく術も持っている。

MOAのハンドヒーリング(正しくは「岡田式浄化療法」)はNHIのなかで「エネルギー療法」という分類がなされていて、しっかりとその存在を認められている。

日本ではというと、未だに「あやしい」とか「宗教臭い」などと思われなかなか認知されていないが、MOAでは西洋医学のアカデミズムに乗っ取った形で世界的な実効データを集めており、これから数年でいくつかの論文とデータが国際社会に提示される。日本には応援者が少なくても、海外では待望されているようなので、社会的に認識されるのもそう遠くはないだろう。石原都知事や大西議員も政治家として国の機関にあたっておられる様子。大西ひでおさんは今年の参院選にチャレンジし、国政で統合医療の担当部署を厚労省に作るよう運動されたいとおっしゃっていた。

尾辻大臣も統合医療への動きには理解を示しておられたという話をMOAスタッフがしていたので、アメリカに遅れをとらないようになったらいいなと思う。

そうやって、社会的に認識され、ハンドヒーリングの資格があって、奇麗な療院があちこちに出来れば、僕も時間さえあれば「しんどーい」と訴えてる人を癒してあげられるわけだ。

たのしみ!
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by toktokpng | 2007-02-25 17:03 | カルチャー

オルセー美術館展

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フランスのオルセー美術館の収蔵品を日本に居ながらにして楽しめる。4/8日まで東京都美術館で開催中だ。
印象派のコレクションで有名な同美術館はもともと駅だった建造物を美術館にしつらえたもので、そのユニークさも展示品のなかに織り交ぜて紹介されている。

日本では印象派好きという人が結構いる。あんまりその他の絵画・美術には興味が無くてもモネやルノアールは大好きだという話を聞く事は少なくない。
だから、今回の展覧会もすごい混み様。会期中の土日は昼前には入場制限が出ているようで、すこしでも、人だかりの後ろからではなく鑑賞したいと思い土曜朝の開館時間にいく。会社員は土日しかチャンスが無いのだから仕方が無い。

まんべんなく収蔵品が持ってこられていたようだが、僕が印象に残ったのは、
ボナールの「水の戯れ、旅」。ルドンの「セーラー服のアリ・ルドン」「キャリバンの眠り」。
ボナールの「水の戯れ、旅」はとても大きな作品で、すこし謎めいている。構図の中に不定形なフレームがあり、そこにラスコー壁画のようなプリミティブな描線が成されている。そのさきに海に関する物語がおぼろげに描かれており、ボナールが捉えようとした四大(しだい)がよく伝わって来た。
ルドンは、大好きな作家なので別に理由があって印象に残ったわけではないが、魔王の子キャリバンを描いたこの小品にはこの時代の時代精神が如実に顕われていると思った。

印象派はそれまでの西洋美術の伝統でいえば、形式主義と自然主義をどうにか乗りこえつつあった試みである。芸術家は見えているものから、ただ見えているだけではない「何か」を描く方法を模索していた。その「何か」を苦もなく表現している好例として日本美術を見いだした。だから彼らはそれに熱狂し、ジャポニズム・オリエンタリズムが原動力となって新しい芸術運動が奔流した。
今回の作品群を通じて、きっとオルセー主催者側は、その事も僕らに感じて欲しいと思い企画したのじゃないだろうか。後期印象派の芸術家達が憧れ続けていたのは、僕らが今いるこの国の、光琳であり、北斎であり、NABESHIMA、KAKIEMONなのだ。それらを追う事で生まれて来た表現なんだなあというのがよく伝わって来た。

そしてちょうど最後の壁に、カレル・マチェックの「予言者リプザ」という大作があり、「あなた方の霊性と共通のものがここにありませんか?」と語りかけているようだった。

その絵を是非、行ってご覧になって下さい。
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by toktokpng | 2007-02-25 16:40 | カルチャー

熱海・family reunion

無事、熱海へ。
土曜の夜から、父と母、妹と僕、それぞれの伴侶と子どもたち、あわせて9人で計6回の食事を共にした。これだけ全員がそろっているのは、随分久しぶりな気がする。

熱海は梅が3分咲きだった。小雨の影響らしい。こんなにあったかいのに、不思議だ。やはり、小雨だけでなく、冬の寒さが弱かった事も影響してるのは無いだろうか。
それでも、梅林はかわいいらしい花房をつけて、青空に映えていた。携帯の待ち受けサイズにしてこの記事に貼っておく。

大病をしたとは思えないほど、以前と変わらない父の様子。
MOA美術館の国宝や様々の美術品を充分見て回れた。

シュタイナーの色彩の本をあらためて読んだあとに、国宝の藤の絵の描かれた壷をみると、そこにシュタイナーが描いていたのとすごく似通った色彩への理解がある事を感じて、興味深かった。なにか心で感じる本当の色を表現する時、その「色」そのものを使うより、その色を生じさせる要素を描いた方が、正しく本当の色を表現させる事が出来るのかもしれない。これは、僕の今の作品にも生きてくる事。

何度かこの美術館に来てるが、くるたびに新鮮な発見がある。また、数回観る事でより見えてくる善さというものがある。

今回は、美術館に隣接する瑞雲会館というホテルに泊まったので、帰りの時間を気にせずゆったりとした気持ちで見る事が出来た。

子どもたちの元気に大人6人掛かりで真っ向からつきあって、大騒ぎの珍道中。
きっと、周りの人たちは騒がしかった事でしょう。申し訳ありませんでした。

とても、充実したfamily reunion。
みんな、ありがとうございました。
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by toktokpng | 2007-02-13 07:46 | カルチャー

読み終わってしまった


以前紹介したシャタイナーの色彩の本。とうとう読み終わってしまった。ちょっと寂しい。

息子は昨日、なんだか甘えてるなあと思ったら案の定体調を崩していたようで、娘も一緒に保育園を休んでいる。ゆっくり温かい日差しの中で微睡んでください。

この本に書いている事ではないが、シャタイナーの考え方で人生の七年周期というのがあって最初の七年は夢の中のような時期だと言っている。

娘や息子を見ていると、確かにそうだろうなと思う。今日読み終わった本に「美と夢は強く関係し、眠りと真実は深く関係して、善は目覚めて活動する事とつながっている」と言うことが書いてあったが、きっとこの色彩の本に書いてあるような色についての深い意味は息子や娘たちの方が遙かに理解しているのかもしれない。

絵を描いていても、本を読んでいても、なにか頭の中に大事なこと本当のことに近づくと、わくわくする。そのわくわくを通じて精霊たちと語り合ってるような気がする。「そうそう、それだよ!」と精霊たちが、パプアニューギニアから語りかけてくれる気がする。
そういうのを気づきと呼ぶなら、この本は「気づき」に満ちた本でした。

絵を描かないひとにとっても。きっと。

強く、おすすめです。
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by toktokpng | 2007-01-31 14:07 | カルチャー
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渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムに世界中のティアラが会した。グレースケリーやアン王妃が実際に所有していたものも展示され、世界でも珍しい趣向の展示会だと言う。
息を呑むようなダイヤモンドやエメラルドの輝き。とくに大粒のアクアマリンをいくつも配したティアラに心うばわれる。

なぜ、僕がティアラに興味をもったか。

ニューギニアにいた頃、海辺の村ですごしていると、色々な装飾品で身を飾る男達に出会った。それらは、犬の歯、豚の牙、木の実、植物の繊維で編んだロープ、貝殻などを巧みに組み合わせた胸飾りや頭飾りだった。それらの装飾品で彩られた褐色の男達のかっこいいことといったら、まぶしいようだった。
様々な文化があるニューギニアだが、どの部族でも、装飾されるのは男達である場合が多かったように思う。また、それらの装飾は精霊の祭りと関係してる事が多く、おそらく装飾品自体が精霊との関わりが深いものだったようだ。

ティアラは、18世紀頃に新古典主義の流れの中でヨーロッパ文化の中に復活したらしく、もとを辿ればエジプトや古代ローマにその源泉があるという。復活したティアラは女性の装飾品とされ、富と権力を示すものとして王侯貴族に必要な物になっていっと説明されていた。

しかし、ティアラにはやはりニューギニアでそうであったように、霊的な力との結びつきを象徴する役割、またティアラ自体が霊的に高まる為の道具としての役割があるような気がする。

頭を装飾するという事の、神秘性と、本能的なありかたに思いを馳せて100点程の豪華な品々に目を洗われた。

しかし、ほとんど、95%は女性ばかり・・少ない男も女性の付き添いという感じ。
男一人で見に来ている自分がちょっと浮いておりました。
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by toktokpng | 2007-01-28 17:08 | カルチャー

さざんか・こぶくざくら

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この3連休は、金・土と休めて、日曜日は出勤。
しかし、木曜の夜、珍しく会社の人にのみに連れていってもらい痛飲。
金曜日は一日起きあがれない程の二日酔いでした。二日たったいまも
すこし頭が重く、やはりマラリア以降、肝臓が弱ってしまっているのは
否めない気がしました。

でも、せっかくの休みなので、土曜日は向島百花園へ。

なんと、桜が咲いている。

えーっと、おもって調べると、これは「子福桜」というそうで、
春と今頃、年に2回咲くそうです。
寒空にこの白い小さな花は、なんとも風情があるなあ。

そして、さざんか。

去年たしかこのブログで「さざんか」というトピックを書いたのですが、
それからもう一年経ったんだなと、すこし寂しく思いました。
なんてあっという間だったんだろう。

そうやって散策していると、ぽつりぽつりと雨が。
「ヤバイ!ふとんほしっぱなし!」
全力で自転車を40分。家族4人×二輪×2台。
しかし、時すでにおそし。ふとんは一部びしょぬれ。

みんなぐったり。ふとん乾燥機で無理矢理かわかして
生乾きのふとんで、みんなごろごろ。

そんな調子でも、みんな生活しています。

今日は満月。仕事の帰りに空を見上げよう。
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by toktokpng | 2006-11-05 16:01 | カルチャー

日本寺

あたらしく制作にかかる準備を進めています。
引っ越しをして、制作のスペースや道具などを整え直して、段々体制を整えていきます。

働きながら、子育てしながら、時間を縫うようにして一枚の絵につながる時間をつないでいきます。それはなんだかビーズ細工のようです。ちいさな時間の切れはしをつないで、一つの形にする。なかなか根気のいることです。

生活の中で「時間のビーズ」をみつけて、その小さな穴に糸を通していく。

このブログもそういう行為であったはずです。

随分「疎密」がありますね。

ここのところブログの「疎」っぷりは、ぼくのビーズ細工もあまり進まなかった事の反映かもしれません。会社と家の往復、育ち行く子どもたちとの楽しいけれど振り回される時間。その連続で、時間がだららんと帯になり、ビーズをみつけることが出来なかったようです。

とはいえ、土日を利用して今月、二回ほど郊外へいってきました。
やはり、僕は絵を描く種をもらうとき、どうしても、土や木々、森の精気のなかで時間を過ごさなければ、納得いかないようです。

今回は千葉の南房総、鋸山にある日本寺というところに行きました。
先週の事です。

南房総の気候は「亜熱帯」と「温暖湿潤」気候の境にあると、ロープウェイ内の案内嬢のアナウンスでいっていました。

たしかに山には熱帯性の植物も多く、土から放たれる香りはパプアニューギニアで山歩きをした時の記憶を鮮やかに呼び起こすものでした。

寺の案内には、「どなたでも参禅ください。」とあり、住職に連絡をとり、座禅を教えて頂きました。

「あたまを空っぽにして、ほったらかして、ただすわる」 それだけですよ。

と、おしえてもらって、座ると、次から次に思い浮かぶ思い浮かぶ・・・・
いろんな記憶、考え。

そういう「思い」がすべて「我」の働きなんですよ。

と、教えてくださいます。「我」の働かない時間をつくる術が座禅なんですよ。と。
「我」がいろんな苦しい事のもとだとわかり、その働きを止めると、自分が「生かされてる」という当たり前の事を思い出しますよ。と。

「生かされてる自分」。なんと、自分ではわかってるつもりになってた、僕の人生のお題目だと思ってた事を、僕自身すっかり忘れて自分が「生きている」というつもりになってた事に気づきました。

人は人との出会いも、その結果も、すべて一人でなし得る事はないのに、全部自分で選んできた事だと思っていますね。そう考えるから苦しいけれど、僕らは生かされてるのだと思い出すと、楽になります。

「時空」を描く。という事をずっと、たしかこのブログでも言っていますが、
時空の中で人は連続体。空間の中で体は止まっていても時間は動き、時空の中での人は一本の枝や木のようにつながっています。

そう、時空の中では、人は植物のようなものです。

植物をみていると、芽を出し、葉をはり、花をさかせる姿に、絶妙な叡智を感じます。
そして、その叡智が植物を生かしていると感じます。

僕らの人生も叡智によって、見守られ、生かされているものだということ。

必要なときに枝を張り、根を伸ばし、花をさかせて、実をつけます。

何一つ、自分だけの力じゃないんだという事。

そんな大事なことを忘れていた自分に気づきました。

山のなかでつらつらと、新作の種になりそうなアイデアスケッチをしながら
なかなか形になりそうにない種ばかり集めながら、
でも、いま、これが、必要な時間なんだろうなと思いながら、
時空の中の「僕」という植物が、うねうねとねじれながらもまだ
育てられている実感をもって、山を下りました。

一枚の絵に通じる時間の鎖は、決してビーズ細工ではないんだよな。
毎日の仕事も生活もブログも絵を描く時間も、分かれてはいない。
分けて考えるところに錯覚がある。

そう思って山を下りたんですけどね・・
書こうとする自分は、なぜか仕事をしてる自分とは切り離して捉えようとしてしまいます。

描くことも、書くことも、強い我の働きです。
しかし、そうやって表現しながら、ピントがあってくるのかもしれません。

長い文章、読んでくれてありがとうございました。
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by toktokpng | 2006-07-22 10:02 | カルチャー

最澄と天台の国宝展

ほんとに久しぶりにブログを書きます。
あまりにも更新しなかったので、すっかりきてくれる人の数も減ったようです。
仕事の大波があって、余力がありませんでした・・。

しかしやっと休みがとれて、この土日で英気を養いました。

家族そろって上野へ。
東京国立博物館では、最澄と天台の国宝展をやっています。
なかなか大規模な企画でした。

昔、この国が守ってきた法脈だけに、立派な宝が多くありました。
どのような宗教の儀礼的宝物も、長い間、それを扱う人の真剣な思いや
愛やひらめきを多く受けてきた物は、独特の力を放っていると思います。
特に、木彫りの仏像には、作者の木そのものへの理解や尊敬が深く感じられ、
木肌のもつ味わい、模様などを余すところなく生かそうとして、丹念に彫られた
如来像は、何百年という時間を経た今でも、新鮮な光を放っているかのようでした。

天台宗は、比叡山にあって、もともとその土地の人々がもっていた、山の神々への尊敬を
否定する事なく、敬って信仰生活を築いていったと、説明パネルにありました。

そのようなアニミズム(全ての存在に精霊が宿りっているという信条)の世界観を許容した
法脈であったからこそ、一木作りの美しい仏像も多く残っているのではないでしょうか。

企画展をたっぷり堪能したあとは、博物館内の本館と法隆寺宝物館も見て回りました。

子ども二人を見守りながら見て回るのはほんとに大変です。
しかし、庭園はあたたかな春の日差しと、桃の花などでうららかな様子でしたから、
こんな日に家族で過ごすには最高のシチュエーションだったと思います。

法隆寺宝物館は、すごく久しぶりにきました。
谷口吉生氏の設計による館は、有名なあの水たまりに散り行く桜の花びらを
たたえて、ひどく美しかった。
ちょうど聖徳太子の特別企画をやっていて、太子座像を間近でみる事が出来ました。

なんだか、仏教に縁の深い一日でした。

仏教であれ、神道であれ、キリスト教であれ、人々がより高い意識や平和や愛を
追い求めて形にした物からは、こころに響く美を感じ取る事が出来ます。

ぼくは宗教者ではないけれど、やはり桜や空や雲や風のなかに感じる
あからさまには目に見えない美しさのエッセンスを自分の絵の中に納めていきたいと思います。そうすることで、みる人のなかに、平凡な地上の生活に美が溢れてる事をふと思い出してほしいから。
まだまだ、道半ばで、なかなかこの「僕事業」はすすみませんが、まだ、止めずにすんでいます。

来月5月、また、銀座泰明小学校で「青空でアート展」出品します。
小さな作品ばかりですが、僕が時空の中に見つけた光を伝えられたらと思います。

日々に乾杯!
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by toktokpng | 2006-04-09 19:09 | カルチャー