「らうん」とは僕がかつて暮らしたパプアの言葉で「旅する・ぶらぶらする」という意味です。光を描く画家、八坂圭が日々を見つめ、愛し、感じた事を福岡からつづっています。


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カテゴリ:カルチャー( 32 )

プーシキン美術館展

もう終わったと思ってあきらめていたのですが、映画を見に上野へいくと、今日までやっていました。最終日でごった返しているだろうなとは思いつつも、何かの縁だと思いいってきました。

やはり見えたのは人の頭ばかり。

とはいえ、ボナールの二点とマチスの二点で、見に来た甲斐のあるものがありました。

上野が近い。美術館にすぐ来られる。
その事が嬉しく思われました。
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by toktokpng | 2005-12-18 23:06 | カルチャー

エミール・ガレ展

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MOA美術館でやっている「エミール・ガレ展」に行ってきました。

話はまた飛んでしまうのですが、子供の頃けっこうマンガ好きでした。自分で持ってなくても置いてあればマンガであればとりあえず手にとって、読んでいました。マンガという表現は過去の芸術から多くを引用しています。大きくなって学べば学ぶほど引用の源泉を知り、興味深く思います。そうやって読んでたマンガの中に少女マンガもあったと思います。そしてその中には「アールデコ」の引用が溢れていたように思います。それは、ミュッシャであり、ガレだったと思われます。

今回は日本国内のガレの名品が二百点以上一堂に会した充実の企画でした。

そこには、植物の形態に必ず潜む螺旋の運動が至るところに溢れて、命を持ったガラス・陶器・家具が美しく輝いていました。

この、曲線が溢れる感が前述の少女マンガを思い出させ、そしてなお、いかにその副次的生産物とガレの作ったもの間に隔たりがあるかということを強く感じたのでした。
少女マンガに限らず、彼の生み出した芸術はひとつのスタイルとなり、限りなく再生産されてきたのですが、そのスタイルとしての表現には収まりきらない、ガレの探求した世界の薄明かりのはかなさ、悲しみの香りがそこにはありました。ガレ自身が悲しみの中に浸った精神をたたえていたのではなく、彼の探求した植物をモチーフとした象徴主義的文様が、東洋の精神への憧憬であるときに、そこに彼は悲しみという感傷を足がかりにそれを読み説いていったことの反映だとおもいます。
ガレにとって日本美術はユーモラスで悲しみをたたえた美しすぎる奇跡だったのでしょう。

今回の展示ではガレが日本美術にテーマをとった珍しい作品がコーナーとしてまとめて紹介されていました。

ガレがどれだけ日本美術をとおして、奇跡の美意識を憧憬したか、そしてその憧れが19世紀末の世界潮流となったガレの作品を形成するのにどれだけ重要な役割をはたしたか、そういう事が見てとれる展示でした。
ガレが描く植物の螺旋はなんであんなにも切なさをたたえているのでしょう。

同美術館には、京焼の名品が多く所蔵されていますが、ガレのあとにそれらをみると、モチーフも、探求された精神も重なり合っているのに、野々村仁清の描く藤のつるは落ち着いていて、ガレと同じように、またはそれ以上に繊細で正確なのですが、悲しみというよりは達観をたたえています。

日本美術はいまどんな風に息づいているのでしょう。
僕なりの提案を明日から、ひそやかにはじめさせてもらいます。

ちなみに僕は火曜・水曜以外はギャラリーにいます。

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by toktokpng | 2005-10-16 23:12 | カルチャー

武蔵嵐山 子育て講座

土曜日。武蔵嵐山の公民館で、パプアニューギニアでの子育てを取り巻く環境についてお話ししてきました。
以前の講演を聞いてくださったかたから三つ数珠つなぎで今回の依頼がありました。ありがたい事です。

ニューギニアでは、折々に行われる祭事・儀礼が子育て・教育の面で重要な位置を占めていること、そこに生活する子どもたちが地域の子どもとしてそだてられ、長老たちが中心となって伝統を子どもたちに伝えていることなどをお話ししました。

僕がニューギニアでとりためた10000点近い写真が、スライドでこんなときに役立ちます。参加者はすくなかったのですが、何がしかがつたわったようで、すてきな感想文をいただきました。

なかなかこういう機会も減ってきましたが、パプアの話聞いてみたいという方がいらっしゃいましたら、是非、ご依頼ください。

さて、今日は選挙、選挙と。
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by toktokpng | 2005-09-11 10:43 | カルチャー

古代エジプト展

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上野の東京都立美術館でやっています。
実は先週の土曜日にいったのですが、記事を書くのが一週間おくれになってしまいました。忙しさのせいというよりは、なかなか、雑感すらもまとまらなかったのです。

僕は数年前から、「虹色の輪と黄金の輪につつまれた地球」と言う文明への視点を構想しています。それについてきちんと論ずることはここではしませんが、概略を述べると、地球には赤道より少し上側をぐるりと一周まわる黄金の力の流れと、環大平洋の輪から同心円に広がる虹色の力の流れが循環しており、黄金の力はピラミッド型をした富と権勢による繁栄の幸せを、虹色の輪はどこまでも平等な個人と個人との交流から生まれる幸福感をもたらしてくれる。そのような霊的な流れが世界の文明形成に大きく寄与している。という考えです。

その黄金の流れにおいて、古代エジプトは源流をなすほどの重要な時間と場所として僕は捉えています。

そして、ニューギニアは虹色の流れにおいてその典型をなすほどに重要な場所で、この論において日本も重要な要素になってくるのですが、それはここでは割愛します。

その古代エジプトの文物がおおくルーブルと大英博物館に収められているのですが、数年前の「四大文明展」の時には大英博のものが多く来日し、今回はルーブルのコレクションの来日となりました。

今回、どうしても見に行きたかったのは黄金の流れの原点とも言えるエジプトにおいて、彼らがどのように最高神をもとめ、どのように神の意志を表そうとしていたかなのです。

その視点で見ていったときにどのような世界がみえるか、それが楽しみだったのですが。

とにかく、すごい人出でした。人山の向こうに展示物を見るというような状況でした。
エジプト人気の凄まじさに圧倒されました。

そして、二時間ほどかけて、コレクションをみて伝わってきたのは・・

「フランス人の美意識」

だったのです。どうしても、そこに調律してみていかないと、コレクションが際立ってこない。

つまり、自由平等という視点から抜け落ちてしまう祭礼文化、儀礼社会の実相と言うのが読み取る事がなかなかできないような並び方、選ばれ方をしている。あくまで、現代人の側にすりよせてきたエジプト観というような視点で見るように構築されている。曰く、「エジプト人もわれわれと同じようにオシャレに夢中だったのです。」曰く、「エジプト人も我々のようにつかのまの家族の団欒を楽しんだのです」曰く、「エジプトも一部の為政者が庶民と桁違いの生活をしていたのです。」
それは、それで、そこに息づく価値観・美意識を浮き彫りにしてて、フランスの古き良きエジプト趣味の原点が見えて良かったのですが、なにか物足りなかった。

古代において、より人間と精霊が近くに暮らし、神々とさえも交流があった日々の形跡。それがその時代にはあったと思われるのです。

今回の展覧会では、貴族階級としての神官たちのスタイリッシュな生活史というものは見てとる事はできました。しかし、神官達のまごころ、もしくはビジョンというのはそこに湧き上がってこなかった。

そんな、感想でした。

一週間たっても、ぜんぜんまとまってませんでしたね。
あしからず。
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by toktokpng | 2005-09-11 10:35 | カルチャー

さわやかな花

d0023742_14202289.jpg今週の花はどうする?
さわやかなのをお願いします。

妻のリクエストに応えて、いつもの花屋で僕が買ってきたのは、ベニバナのサービス花束と、一株300円のトルコキキョウ。

夏らしい爽やかさありますか?

トルコキキョウの花言葉は(いろいろあるけど)、「希望」
ベニバナの花言葉は(これもいろいろあるけど)、「あけっぴろげな性格」

なんかこのブログにあってますね。
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by toktokpng | 2005-06-05 14:21 | カルチャー
浦沢直樹さんのビッグコミックオリジナル連載のマンガは、年に3冊くらいのペーズで単行本になる。それは「マスターキートン」の頃からずっといっしょ。で、そのユルーイ、ペースで、ずっと単行本を買っている。
まず、裏切られることがない。脳内の各所をつんつんとつついて、耕され、掘り起こされ、あたらしい繋がりがみつかり、わくわくする。
巻末をよむと、浦沢直樹さんの手塚治虫さんの「鉄腕アトム/地上最大のロボット」にそうやって脳を耕され、創造性を刺激されて今の自分がいるという旨の事がかいてあった。
まあ、二人とも作り手としては仰ぎ見る巨人なので、自分にあわせて考えるのもどうかと思うが、何か見るもの聞くもの味わい嗅ぎ、触れる物を作る仕事をしてるひとは、皆、脳を耕す農夫なのだなあと思いました。自分の脳も他人の脳も。

夫々の力量に応じて、毎日少しずつ耕す。

僕も僕なりにね。今日も耕しまっせ。筆と絵の具で。
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by toktokpng | 2005-04-29 15:44 | カルチャー

本棚の文庫で読むものがなくなってきて、妻の本をとって電車にのることがあります。
それも読みつくして、今日は「茶の湯基本語小辞典」というのを持ち出しました。
抹茶は感覚を高揚させるもので、程度の差ではあっても、芥子のなかまでもあったのでしょう。
官感を制し、自己を統べたしずかな僧の世界には、それだけでも華やぐカフェインの効用。
その禁戒の時間のなかにせめてものはからいと友へのもてなし。そういう世界だなあと。
おもしろいですね。茶の湯。
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by toktokpng | 2005-04-28 10:07 | カルチャー

トワイライト

「夕闇」という光がある時間があります。それは陽光が勢いを失い赤みがかって弱まるとき、青暗く空を覆うように広がろうとする力をもつ、赤紫から紺のあの光景のことです。
その後その反語的な光は幻のように消え、闇のみを正体よとしらばっくれます。
でもその幻光はあったのです。実光とともに二つの光ある時間。それがトワイライト。逢間が時ともいいます。
この世のものではないものに、すこしだけ戸をずらして、こちらとつながる隙間―チャンスをもたらす時間帯。

週末福岡に帰ったのは、この世に新しい命が隙間を抜けて来、それが僕の娘だったという幸運の為でした。

福岡は陽が長い。それは東西に日没時で一時間以上の差がある日本で、一つの標準時を使い、一つの平均就労もしくは就学時間を使っている故の差異です。
たまに帰るとその差異を実感します。一日の束縛を終えた勤め人や学生が、友人とまだ日の落ち切らないトワイライトを共有してる。
その時間に未知の希望や夢、わくわく感を、冗談まじりに喋ってる。それが僕の故郷の風景になっています。
トワイライトには機知の創発性が宿ってる。それが福岡出身者に芸事師が多い秘密かもしれません。
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by toktokpng | 2005-04-26 23:55 | カルチャー

尺八のすごいひと

今年の一月に、「飛鳥」にパプア伝統工芸の講師として乗っていたんです。
豪華客船の旅は素敵なものでした。乗客のみなさんはご自身の人生のご褒美として船旅をたのしまれてるようで、時間の楽しみ方をよくご存知だと感じ勉強になりました。

そんな船旅のなかで、学びや楽しみを提供するために僕を含め様々なスタッフが船に同乗していたのですが、そのなかに「ザブトーン」というジャズ・デュオがいました。

ピアノと尺八という楽しげな組み合わせで、飛鳥の中で心地よい音を奏でてくれました。
二人は五人編成のカンデラというグループもやっているらしく、そのサイトがこれです。
CANDELA(カンデラ) homepage
飛鳥のラウンジで、カンデラのナンバーも演奏してくれたのですがその中の「桐生」という曲がとても気に入って、その場でCDを購入しました。

池谷 裕二さんの本のなかで、「空間を移動する事は、それをイメージするだけでも脳(とくに海馬)を活性化させる」というような事がかいてあったようにおもうんですが、この曲は本当に頭の中が勝手にドライブに出かけてしまいます。しかも、車じゃなくて、ハンググライダーとかに乗ってる感じです。桐生の長く続くまっすぐな道。山が遠く、ひたすら進めども、緩やかな勾配のなかで、いつしか自分も山の中にいるのだが、まだ遠くに同じような山が浮かぶ・・・そんな光景を太平洋の真ん中でブルース・ヒューバナーさんの尺八をききながら思い浮かべていました。

そう、尺八のブルース・ヒューバナーさん。
実はこのデュオの尺八奏者はアメリカ人だったのです。でも、東京芸大を卒業してて随分長く日本にいるので、半分日本人かもしれません。

パプアニューギニアに飛鳥が寄港したとき、ひょんなことから会話が生まれておはなしする事が出来たのですが、逡巡と躊躇のない緩やかなかたで、仰ぎ見るおもいでした。

で、逡巡無くそのときお誘いした僕の家の近所のパプアニューギニア・アートのコレクションを後日見に来てくれました。多くの人にお誘いをかけても、遠いといわれて躊躇される方が多いんですけどね。さすがです。

その、ブルースさんを含むCANDELAのMOGAMIというアルバムを聴きながら、今日の記事を書いてるんですが、ほら、頭が遠くにいってますよ・・・。段々畑の山並みを俯瞰して・・・、あ、東屋だ・・。お茶をいっぱい・・・・。てくてくと、山をのぼり・・・

はっ・・・

ということで、脳内旅行をおわります。
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by toktokpng | 2005-04-11 00:47 | カルチャー

ある友達のこと

友達がドイツにいってしまったんです。「仕事で」とかではないんです。とにかく行ってしまったんです。
「アイツ、インドに行っちゃたんだよ。それでさー、戻ってこなくてさー」とか、昔は良くありがちだった会話と同じような雰囲気で行ってしまったんです。どうなるのかとか、どうしてるのかとか、そういう事は詮索しないようにしたいと思います。


で、きっと今頃言葉を吸収しまくってる時だと思うのですが、ついでに僕も覚えてみたいなあと思いました。


Ich >僕 イッヒ、イッヒ、イヒヒヒ・・・
Guten aben. >こんばんわ グーテンエーベン、 ぐー、 ぐー、ぐー・・zzz... 


ドイツといえばワールドカップですね。やつはその時期までいるのだろうか。
ほんとまっすぐな奴で、いい顔してるんですが、決して考えてから行動するタイプではないですね。
行動してから考える。


人の事を言えない部分ですが・・。


歴史上の人物ということで、自分が影響を受けた人っていろいろいると思うのですが、
僕は思い起こしてみるとドイツ(正確にはそうでなくても、ドイツ語圏内)の人が多いなあと気づきます。
パウル・クレー、ゲーテ、ユング、ルドルフ・シュタイナー、カンディンスキー、エンデもかなあ。
まあ、ほんと一般書籍で感銘を受けた程度なんですけど。
そして、こうやって友達がいってしまってみると、自分は原典に触れたわけでもなんでもないんだと。
しかも風土もしらないんだ。自分がわかった気になってる事の根元って結構浅いなあ。Gu、の音もでないやぁ。


ですから、友達が帰ってきたら夢見る子どものように、彼の地の話を聞くんだろうなあと思ってます。
何年後かしりませんが。


もしこれで、彼がレスをくれたりすると60年代ではなく21世紀っぽくていいですねえ。


ということで、楽しみが一つ増えた。
ありがとうー。
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by toktokpng | 2005-04-10 02:43 | カルチャー