「らうん」とは僕がかつて暮らしたパプアの言葉で「旅する・ぶらぶらする」という意味です。光を描く画家、八坂圭が日々を見つめ、愛し、感じた事を福岡からつづっています。


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カテゴリ:映画( 16 )

最近映画 〜WALL・E〜

今日は「WALL・E」を見てきました。子供たちと一緒だったので吹き替え版。でも、ほとんど台詞のない映画だったので、どちらで見ても印象は変わらないと思います。

ああ、楽しかった。一言で言えばそう言う感じです。

今、一部の地球人たちの顕在意識のコンセンサスになりつつある、とある物語があります。宇宙にはいろんな文明があり、さまざまな進化の段階にある存在たちが学びつづけており、地球はそのような文明から「関与」されたというものです。さらにその関与において、外からつたえられた「特殊な知識」をひろく活かそうとせず、独占する意識がこの地上にあったといいます。その一部がさらにひねくれて、闇のような意識なってしまったと。その闇に慣れ親しんだ意識体が、肉体をもつ人々に影響を継続的にあたえ、世界の趨勢に影響を与えつづけているという物語です。その闇に慣れ親しんだ仲間達は、今、地球をとりまくエネルギーの変化により、生きづらくなりつつ、最後の奮闘をかさね、成果があがることもあれば、思惑が外れたりもしていると言います。彼らは、地球から抜け出したともいわれ、地球を一部の人たちの楽園にしようとしているとも言います。彼らの得意な手法は、人々を「考えず・感じず・意図しない」存在へと導くことだと言われていました。

このような物語に、なにか意味があるのかどうかは、於いておきましょう。

今日の映画はしかし、そのような「物語」が形を変えてベースになっています。29世紀、ゴミだらけになった地球に、人は住んでいません。そこに一体のロボットが働いています。彼の名は「ウォーリー」。ゴミ処理ロボットです。彼は700年間淡々と働き、ゴミの中から自分だけの宝物をあつめては、「家」に飾ります。そんな彼の夢は恋をして女の子と手をつなぐこと。心優しい「ウォーリー」はビデオテープから流れるダンスや映画の恋のシーンに胸をときめかせます。そこへ、最新式のロボットが宇宙から飛んできます。名前は「イブ」。破壊光線でなんでも溶かすコワモテの彼女。しかしウォーリーは初めてあった女の子に、一目惚れしてしまいます。さて、彼の恋の行方やいかに。

イブは、地球を脱出して宇宙を航海しつづけるおそろしく巨大な宇宙船からやってきました。そこでは、意識も体も退化した人間たちがゆりかごのような生活をおくっています。

さて、これ以上内容には踏み込みませんが、いくつもの細かいシーンに、冒頭に述べたような「物語」へ捧げられたような皮肉や賛美がみられ、かつ、とてもリズミカルで明るく、批判的な感じはせず、友好的で、愛に溢れています。

エンドロールでも、宇宙存在の地球文明へのかかわり仮説でよく言及される事柄へのオマージュがあり、さらにエンディングテーマをあのピーター・ガブリエルが歌っていました!超感激!

描くべき物は、純真な心の開き結ばれる一瞬の衝動だ。

これはあらゆる物語に言えることだと思います。それが男同士でも、子供と大人でも、死者と生きてる人でも、男と女でも、物と人でも、なんでもいいとおもいます。

この宇宙に満ちる普遍の愛に、われわれが同調するには、真実の愛を示されるだけで十分なのです。

子供たちは二人とも、とても楽しかった様です。二人幼児がいるので、途中おしっこタイムの危険性がたかく、おしっこ要員として僕の父も一緒にいったのですが、彼は寝てましたね。

笑える設定、細かく質のいいエピソードの数々、台詞をつかわず子供にも筋を納得させるだけの構成力、本当に職人わざの集まりでした。

冒頭の「物語」で「闇の仲間達」といわれるような存在のことをほのめかしている映画のようにも見えるし、彼らのしようとしていることをあざ笑っているかのようにも見えるし、それらを超えて、人類の希望を「まけるもんか」と提唱しているようにも見える。

複雑なスタンスの映画だなあと思いました。

に、したって、きっと、スタンスがなんだろうと着想がなんだろうと、誠意をもって、職人がこつこつ映画をつくったら、こんな愛を描いてしまった。そう言うことなのではないでしょうか。


僕らも、自分たちが作り出した物語を生きる一介の魂です。近視眼的に惑星地球だの太陽系だの天の川銀河だのと考えなくても、実際宇宙は無限で輝きに満ちた進化を営々とつづけています。そのなかで、いろいろな存在たちがそれぞれのかけがえのないステップを踏んでいる。くるくる同じとこをまわったり、たまに飛躍したりしながら。

そんな当たり前のことを、思い出させてくれる、とってもピュアな映画でした。

「ファインディング・ニモ」の監督最新作。この冬のおすすめです。


今夜もいい夢を。

ありがとうございました。
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by toktokpng | 2008-12-07 22:23 | 映画
福岡での公開は今日までということで、見てきました。国際的な映画賞を受賞したとのことで話題になっていましたし、山崎努さんの姿が気になっていたのです。

僕は映画が大好きです。映画という体裁を整えているだけで、大抵の作品に泣かされ、笑わされ、わくわくさせられます。ストーリーが始まらない最初の五分くらいで泣くことも良くあります。

そのような、僕が、静かにさらりとこの映画は見てしまいました。

脚本は「料理の鉄人」で社会現象を起こした小山薫堂さん。彼がいなかったら、「放送作家」という職業名がいまほどのステイタスをもって幻惑されることはなかったでしょう。
彼特有の、現実の延長が即ファンタジーへと変容するような視座はこの映画にも生かされていたように思います。
納棺士という仕事への眼差しをとおして、生と死の循環を描き出そうとする詩情は、充分に美しく、そして、適度な軽さを保っていました。

本木雅弘さんの、所作の美しさと、内面の青さを演ずる心は、僕の胸をとらえ、全編を通じた山形の引き締まった空気感と生活から引き離せない淡い色たちの響き合いは味わい深い物でした。

惜しむらくは、本木雅弘さんの奥さん役だった方が、稚拙な存在感だったことです。その役柄にあたえられたもどかしい若い女性の存在自体は、作品のよい伴奏でしたが、役者さんがそれを演じきることも、素でそのようなありようを伝えることも難しかったように思います。ミスキャストだったのかもしれません。

そして、やはりその視点の浅さなのでしょうか、なにかJ−POPのプロモーションビデオを見たような印象でした。

そうして、深く胸にせまることもなく、ただ、一遍の軽快な詩のように流れて行きました。

おそらくそれでよいのです。ことさらに深めて謳いあげるほどのテーマでもないのだと、そう制作者はとらえているのだ、というような潔さを感じます。

日本映画なのですが、どこか辺境の国の映画をみているような、異国情緒がありました。

知らない国に迷い込んで、知らない人達の機微に触れ、新鮮で、心地よい違和感を残して、幕を閉じました。

きっと、不思議な印象のまま心に残って行く一本になる予感です。



不思議な時間を、ありがとう。
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by toktokpng | 2008-12-04 21:35 | 映画

マンデラの名もなき看守

今日は前から見たかった映画を、佐賀県まで見に行って行きました。
「マンデラの名もなき看守」
南ア初の黒人大統領、ネルソンマンデラの投獄生活27年のなかで育まれたある白人の看守との人間性の交流についての映画でした。ネルソン・マンデラの生誕90周年記念映画とされています。ネルソン・マンデラ自身が映画化を許可した実話に基づいています。
主人公の看守は、すでに亡くなっていますが、生前のインタービューを見た事があったので、この映画にはとても興味がありました。
福岡でも夏にやっていましたが、個展準備でとうとういけずじまい。
調べると、10月に佐賀駅の側でやることがわかって、ずっと待っていました。
片道60Km、いくだけの甲斐はありました。素晴らしい映画でした。去年から今年にかけて、一番泣いた映画かもしれません。
アパルトヘイトが実行されていた南アフリカで、看守は、軍の下士官として、ある島で任務に就いていました。彼は、白人ではありましたが、幼い頃、黒人の隣人たちとともに遊んで育ち、彼らの言葉や遊びを解することができました。その事を知った上層部は、彼を公文書偽装罪で逮捕したマンデラの内偵として利用します。下士官の待遇から、徐々に昇進を得て、よろこぶ妻。それとは裏腹に、マンデラの人間力に、自らの人間性を呼び起こされ、真実について自分の頭で判断してしまおうとする看守。もちろん、そんな事をしてしまえば、組織内では存在意義を失います。彼はリンチにあい、軍を辞めようとします。それでも、上層部は彼の利用価値を買って、彼に待遇について譲歩します。看守は、微妙な立場のまま、マンデラからも、軍からも信用されるという奇跡の存在となって行きます。それは、ともに、ある意味、煙たがられる存在でもあります。彼は何に立ってあゆんだのか。なにを信頼して、力強くあれたのか。マンデラという神がこの世界に送り賜うた、「人徳」という純粋さを、描き出すために彼の存在が光ります。
日本には、吉田松陰という人が居ました。この、歴史上、なにもしていないかのような不思議な人物がまた、多くの人の研究をして、時代を動かす大きな力であった事を語ります。彼はなにをしたのでしょうか。彼は、牢で、淡々と正道を説いたのでした。その事によって、動かされた力が、よくもわるくも国を動かしました。アパルトヘイト撤廃のための活動が続く中、マンデラは獄中にあり、しかし、彼の存在こそが国を変えました。松蔭とマンデラは、フラクタルのようです。
看守は、幼い時に黒人の少年と覚えた棒を使った格闘技を、中庭で使役中のマンデラに挑みます。マンデラは大きく、やさしく、彼と棒を交え、それは美しい舞のようでした。
看守は、後年のインタービューで、「私は、彼を人間として尊敬していた」と言っていました。
皮肉にも看守を橋渡しに、マンデラと交渉を続けてきた白人政権は、国際社会の圧力によって、マンデラを解放し、後に、解体して行く事になります。

もちろん、地上での話しです。政治ですから、いま、南アがパラダイスだと言えるわけではありません。しかし、全ての政治と社会が、計量出来る力によって計算され、動くわけではないことを、マンデラという人格によって20世紀の終わりに示されました。

人間性、愛、美徳は計量する事の出来ない宇宙の別層からやってきます。

そのような力を、エーテル的な力、もしくは生命力と呼ぶのなら、我々は、いつも無限の生命力を虚空のなかに背負い、生きているのだという事を思い出すべきでしょう。マンデラが特別なのではない。人間という特別を、すべての生命が共有して生きているのだと。

マンデラは、黒人にとっての希望の光であったのみならず、人間にとっての光の証明であったと感じます。そして、そこに、名もなき下士官、看守、そして最後には下級将校としての1人の白人の人間らしい一生があったのだということをずっと感謝していこうと思います。

宇宙は愛に満たされ、なにもかもを分かち合う光であることを、我々は知る時代に向かっているのですから。
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by toktokpng | 2008-10-20 21:01 | 映画

最近映画 「earth」

「earth」見て来ました。

http://earth.gyao.jp/

地球の事を強く意識する様になったのは、いつの頃からでしょう。

27の時に、宮古島と沖縄を旅した時かな。

パプアニューギニアで暮らしていた頃からだろうか。

もっと、もっと小さい頃、父と一緒に学校を休んで船に乗り、釣りをした時?

たぶん、生まれて始めて、団地の庭で、泥遊びをした時からかもしれない。



だけど、もしかしたら、一番地球を意識したのは、生まれてくる前なのかもしれない。



earth。この映画は、とてもストレートなドキュメンタリーだ。

ただ、僕らの前に、この星のある一面がうつしだされるだけ。

BBCがNHKの貴重なアーカイブも生かして、北極から南極まで、地球のさまざまな横顔を見せてくれます。

これだけの映像を作る為に、どれだけの努力が払われただろう。


懐かしいニューギニアのゴクラクチョウ達も沢山出演していました。

ホッキョクグマの絶滅が、温暖化によるものなので、皆さん、今から行動を。

という、メッセージが込められているが、

僕は、ただ、家族兄弟が、この惑星で、どんなに美しく、どんなに気高く、魂の営みに向き合っているかを感じて見ていました。

それは、懐かしい感覚。

この一つの命である地球が、私たち自身だと言う事を、私たち自身のなかで、あのようなクジラのオーケストラや、像の群れをなしたオアシスへの旅や、小熊のむじゃきな営みが続いているんだという事。

どれほど、自分はすばらしいのかという事。

きっと、この映画を見る時に、「これは、あなたのプロフィールです」と言われて見るところを想像すると良いと思う。

そのとき、きっと、あなたの心の中には、この地球と共鳴する、かけがえのない光が、映画を見終わる頃には感じ取られると思う。

その光こそが、あなたの本体なのだ。

世界は、美しい。

だから、僕らはやってきたのだ。
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by toktokpng | 2008-01-13 23:02 | 映画

マリー・アントワネット

休日出勤だけども、八時には終わらせて映画を一本みる事にした。
ソフィア・コッポラの「マリー・アントワネット」

革命の敵の象徴とされた王妃を、一人の少女として、ソフィア・コッポラさんの平行視線によって、同時代の「女の子」としてみるブルボン王朝末期の情景を描いている。実際にヴェルサイユ宮殿でロケをされたという。

きっと日本の女の子達には、「ベルサイユのバラ」でこの時代背景に詳しかったりする人も多いと思う。きっとこの映画の視点はアメリカ・ヨーロッパでは新鮮だったかもしれないが、日本の女の子達には親和感のある描き方かもしれない。

しかし、美しい映像だった。色と光りについての理解とこだわりは、「バージン・スイサイド」のころから素晴らしかったが、さらに手法と緻密さが向上しているように感じた。

ソフィア・コッポラさんは、僕が属してる世代の「世代精神」を代表しているような表現者だと思う。世代精神は、その代表者のみにおいて個性となる。
僕らはその表現をみて、「ああ、こういうことだったのね。」と自分が表現し得なかったけれど、時代の空気として感じていたものを理解する。追従者として。

一遍の美術として、この映画を味わうなら、追従者として心地よく楽しめたのだ。
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by toktokpng | 2007-01-22 00:58 | 映画

硫黄島からの手紙

土曜。当然出勤。
しかし昼からなので、午前中に足裏マッサージにいく。家から一分のところに雰囲気のいいリフレクソロジーの店があるのだ。あまりに徹夜が続いたときなど、たまに行っている。疲れがとれるだけでなく、継続して通ってるので、体の状態を客観的に診てくれて、健康管理になる。今日のコメントは「忙しかった割には体はバランスを保ってますね、不思議なくらい。」

ハンドヒーリングのおかげだと思った。

仕事は8時頃終わり、先月から待っていた「硫黄島からの手紙」を丸の内ピカデリーに見に行く。

アラシ(だっけ?)の二宮君という俳優が、渡辺謙を差し置いてアカデミーにノミネートされたんですよね。

いろんな事を含んでいて、大きく鈍い衝撃を胸にのこしていった。

戦闘と言う現場で人間ひとりひとりがその性質の高い部分も低い部分も愛すべき部分も憎むべき部分もすべてむき出してしまうというのはわかる。さらに思うのは戦闘集団が属する社会の性質もそこに鮮明に浮かび上がってくるだろうということだ。集団の遺伝子とでもいうべきものが確かにあって、日本は65年前の昨日から始まった戦闘を今夜みた映画のような凄惨な終局に迎え、その遺伝子構造をガラッと変えてしまったのだ。映画が終わったあとのエレベーターに乗り込む観客たち、艶やかな若い女性の談笑する様子(この映画のあとに笑みがある時点で理解しがたい未来の遺伝子が活性していると思った)パリッとした上質のコートやスーツに身を包んだ男性達。

映画のエンディングタイトルには、「この映画は演出上の目的で脚色を加えてありますが、歴史的出来事に基づいています」とのコメントがあったが、その戦闘と同じ社会集団の延長線上に目の前の豊かな光景があることが不思議だ。一つの奇跡だとしか感じられなかった。このような変化をとげたのは、社会集団があのような極限的な状態でさらけ出した、絶対的な縦社会、盲目的な服従を容認する構造、その構造のなかに暴力の横溢があることへの寛容など、いまだ変え難くこの社会集団に残る遺伝子を敗戦という結論によって、いくばくかでも不活性にすることが出来たからに相違ない。

五年まえ、お盆の夜に沖縄の平和記念公園を訪ねた。戦い、弊れた先人たちの思いが胸いっぱいに飛び込んできたように思った。「本当にあなたがたの生きた時間の上に、いま僕らがいます。ありがとう。」と心で何度も祈った。

それはニューギニアでも、何度も思い、祈ったこと。
だから、僕らは決してあの敗戦で不活性化した遺伝子を復活させるような事をしてはいけない。それが一番の供養だ。だからこそ、非戦の誓なのだ。

同時にそのような消し去られるべき性質が極限まで発露しているときに、集団が守り育ててきた人格的美徳もまた、極限的な英雄的行為としていくつも存在してたのだろうと思う。この映画に描かれた栗林キャプテンの美しさや、大宮のパン屋の魅力も、綺羅星のごとく戦場にいくつも光ったに違いない。それらこそは僕らが受け継ぎ活性化し続けていかなければいけない遺伝子だろう。

戦いをへて、たくさんの悲しみをこえながら、それでも世界はすこしづつ良くなっている。
そうなのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

少なくとも、クリント・イーストウッドとスピルバーグというアメリカの大巨匠が二人もこの作品に熱意と誠意を尽くして描いたことは人類という社会集団がみせた美徳と言えないだろうか。

ぼくも朗らかな一兵卒でありたい。
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by toktokpng | 2006-12-10 00:18 | 映画

父親たちの星条旗

硫黄島での戦闘を、日米両国から描くという壮大な試みの二部作。
クリント・イーストウッドの最新作は、世界に戦争がたえないこの時期に
人間と戦争というテーマを、今彼にとって、また世界にとっても出来うる限りの
理解力と表象力をもって取り組もうとしている。
まずは、アメリカ側から見た硫黄島から公開。日本側からの硫黄島は12月9日(!)
ジョン・レノンの命日、真珠湾攻撃の日の翌日に公開される。

僕らは、第二次世界大戦から遠いところで育ったという感覚があるが、
記録や映像作品、また戦後の文化を振り返ってみれば
どれほど甚大な破壊がもたらされたかを知るし、また、文化自体が
一度そこで、リセットされている印象は多かれ少なかれ僕らの世代でも
理解はしていると思う。

リセットされた後の世界に住んでいる僕らには、リセットされるまえの世界を想像する事は難しい。しかし、この映画をみて改めて感じる事は、アメリカはあの戦争でなにもリセットされたわけではないという事だ。

この映画では、硫黄島にアメリカの国旗を立てんとする兵士達の有名な写真が鍵になって話が進む。戦闘の現場では、どちらかというと、リラックスした雰囲気のなかで行なわれた、国旗の掲揚。その様子を捉えた写真が祖国では実際以上の緊張感と高揚感を呼び起こし、旗を掲げる「作業」をしていた兵士達が、戦友を置いて本国に帰還し、戦時国債のセールスに駆り出される。
そのことの矛盾に悩む兵士。陽気に受け入れる兵士。ただ、現実を直視し続ける兵士。

アメリカはあの戦争だけでなく、その後もいくつもの戦争を繰り返し、勝ったにせよ負けたにせよ、戦争を行なうたびに何か重いものを国内に抱え込んでいる。はっきりとした勝敗のあった太平洋戦争でも、これだけの矛盾と痛みを抱え込んでいたのだという事をイーストウッド監督はしっかりと表現している。

そして、それらの重みは一つもリセットされずに、現在のアメリカにつながっているのだ。
戦争を欲せずとも戦い続けるしかない流れは、この映画の舞台の時間も今も何も変わっていない。

映画の中には、この一作では話の輪がつながらない箇所があって、
二部作ならではの工夫がされている。

さて、次はリセット前の日本を舞台にした「硫黄島からの手紙」だ。
あと、一ヶ月とすこし。興味深く待つとしよう。
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by toktokpng | 2006-10-30 00:29 | 映画

イルマーレ

木曜から金曜にかけてはまた徹夜。徹夜明けの夜には辞めていく同僚の送別会。この1年半で、15人くらいを見送った。この業界では、どこのプロダクションでもそれはそんなに珍しい事ではないと聞いている。久々に土曜も日曜も休めるようで、送別会では終電までたっぷりお酒を飲んで過ごした。

土曜日。昼間は子どもたちと散歩。河原を駆け回る二人を追いかけたり、背負ったり、ころがったり。風呂に入れたあと、レイトショーで前から見ようと思っていた映画を見に行く。

2000年の韓国映画のリメイク、イルマーレ。
二年の時空を超えて手紙が行き来する不思議なポストが登場するSFラブストーリー。
キアヌ・リーブスとサンドラ・ブルックが主演の美しい映画だった。
恋愛映画なんて気の抜けたものは見ないと言う人もいっぱいいるだろうが、
僕は、上質なラブロマンスはたまに無性に見たくなる。
でも、立て続けに見ると辟易したり、また、B級だったりすると気分が悪くなったりする。
たとえば、「カサブランカ」くらいの上質さ。
そういう映画をみると、恋をしたときのような魂のぬくもりに出会える。
原題は「The Lake House」湖畔に佇む主人公の父が建てたグラスハウスが舞台になっている。ファンタジーなんだけれど、チープさを感じさせない、マホガニーの家具のような上質さを感じる事の出来る映画だった。

恋愛って言うのは、そんなにいっぱいしなくても良いと思うのだが、
恋愛を通じてしか、学べない魂のテーマというのはあるのだと思う。
恋愛ばっかりしてるほど、現実の生活はヒマじゃないから、
高級な恋愛小説や、映画は、忙しい現実の人生を歩む僕ら庶民に
大いに資する知的所産だとおもう。

切ない恋心を体験できて
よかったよかった。
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by toktokpng | 2006-10-22 01:30 | 映画

ゲド戦記 (最近映画)

昨日の昼、子どもが寝てる隙に見に行ってきました。

ちょっと前に、テレビで「となりのトトロ」を放映してましたよね。
それからというものうちの2歳の子どもは、ビデオに録ったトトロを繰り返し繰り返しみています。ちょっと間ができると、「トトロ!トトロ!」と叫んでいます。
宮崎アニメには老若男女それぞれの視点で楽しめる魅力がいっぱいつまっていて、それは夏休みの楽しみの一つになっていました。

その息子さんの作品という事で、夏>ジブリ>わくわく!みたいな図式で多くの人が劇場に足を運ぶ事でしょう。

先日、ダビンチコードを13の席で見た時の上映中断事故。その賠償でもらった招待券をつかって見てきました。

絵や背景が、ここ数作品と比べると、急に大味になっていました。それからストーリーも極限まで考えつくされた感じがしませんでした。ざっくりとした表現で、でも、何かしらあたらしい情熱を感じました。いままでの宮崎アニメには絶対出てこないような暗い衝動や卑屈な人間性が表現されている点も新鮮でした。これまでの様な爽快さはないものの、いつまでも心の中で考えさせられるようなテーマがちりばめられています。

今回の作品が興行的に成功をおさめて、次回作が全力で作られる事をねがって止みません。

エンディングテロップを見ると、スタッフも大分変わって、少なくなくなったようでした。そのなかで、ジブリに就職した大学時代の同級生が「原画」のところで、上の方に名前があったのを見つけて、嬉しく思いました。

見終わって、自転車で家へ。
はしゃぐ1歳児と2歳児・・・。すくなくとも彼らにはこの映画は面白くないだろうな。
河原でボール投げでもしよう!
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by toktokpng | 2006-08-06 09:55 | 映画

最近映画 SAYURI

「この本の映画をつくりたい!」とスピルバーグが言ったというニュースからもう何年経ったでしょうか? すっかり立ち消えてしまったのかと思っていたら、やっときました。

パプアに留学中、僕のクラスのオーストラリア人美術教師リチャードが原作の「Memories of Geisha」を貸してくれて、英語でしばらく読んでいました。が、結局読破せずじまいでした。

彼はこの本の事を、日本の芸者の世界のことを絶賛していましたが、この映画を彼が見たらきっと満足するだろうな。そういう出来映えでした。

日本版ニューズウィークに「日本を誤訳するアメリカ」とでかでかと書かれていましたが、今までの日本を取り扱ったハリウッド映画の中でも随分丁寧に考証されていると思えましたし、映画的演出と、外国から物語を通して想起されるからこそ生まれるファンタジーが映画に盛り込まれなかったら、この映画の醍醐味はなくなってしまう。だからこれでいいんだ。僕はそう思いました。

しっかし、桃井かおりです。
この映画に含蓄や、人生の哲学や、深みを持たせる事が出来たとしたら、八割がた彼女の力によると思います。盟友の松田優作さんも本当に喜んでることでしょう。

この、桃井かおりを観て! そのためだけにでも行く価値のある映画です。
おすすめです。
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by toktokpng | 2005-12-18 23:17 | 映画