「らうん」とは僕がかつて暮らしたパプアの言葉で「旅する・ぶらぶらする」という意味です。光を描く画家、八坂圭が日々を見つめ、愛し、感じた事を福岡からつづっています。


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雛人形

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先週の月曜日、スバラシイ展示を見て以来、徹夜や休日出勤で走り抜けた一週間でした。途中、みんなから愛されていた同僚のお別れ会があったりしましたが、毎日毎日やり直しの連続でやっと昨日ひといきつきました。
そんななか、土曜日の出勤前に娘の雛人形を買いにいきました。

浅草橋の駅にたって、あちこち人形屋さんがあります。息子は保育園に預かってもらいました。妻と娘と僕、この人形に出会うまで10分くらいでした。二人とも、目移りしながらも同じ人形に目が止まり、すぐに決まってしまいました。
貝あわせのおもちゃがあしらってあるのがとても気に入りました。色も華やかで、でもシンプルで。

今日、その人形が届きました。

幸せ~って 感じです。

娘はまだ11ヶ月。なんだかわからないでしょうが、君のものなんだよ。

いつかきづいてくれるまで、大事にしようとおもいます。
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by toktokpng | 2006-02-27 23:17
昨日の朝、出勤をすこし遅らせて、9時開場の美術展にいって来ました。

出勤を遅らせたから、というわけではないのですが、そのまま今朝に至るまで、デスクに結ばれてました。
でも、作朝の良い気分のせいか、疲れはさほどではありません。(あとからくるんですよね、徹夜の疲労って)

質の高い美術には、人を気分だけでなく、癒やす力がある。僕は本気でそうおもっています。

見たかったのは、仁清の藤壺だったのですが、国宝コーナーは入れ替え展示で、ちょうど終わったとこでした。

さすがに月曜の9時から来る人はすくなく、静かにゆっくり見る事がてきました。知られざる近代の名品というテーマの最初の部屋。絹本の掛軸が何幅も出迎えてくれます。これはと思う名品ばかり。深窓の令嬢が一座に会し、その集いに招き入れてもらえたような、気の引き締まる思いがしました。

幾つかの作品の後、竹内栖鳳の「水郷」という作品の前に止まり、おもわず口から「すごい、すごい!」と音に出してしまいました。
いや、正に宝が溢れていました。川合玉堂や福田平八郎など、愛すべき日本画の先人たちの名品が続きます。

これらを愛した、長者たちと、それぞれの作品の持つ良さを分けあって、共感すべきを目の前にして、時空を超えた対話がなされるようです。

麗子像や高村光太郎の伝説的傑作を目の前にみて、次の部屋は国宝重文などの陶器・屏風の間になります。
延髄に電気が走るような、微妙な青磁の色と変化。何色とも呼べない白磁の深い温もり。部屋の右手がわにならんだ磁器たちは、多くが宋の時代のもの。

中国と朝鮮半島からこの国へつたわり、多くのコレクターの手をへて、いまここにいる。作品たちが辿ってきた、所有者たちの心の道程の先に僕ら鑑賞者がいます。これら貴い器をとおして、その道程から見えた時空の景色をも僕らに届けてくれるようです。

国宝はまたその中でも仕切られた部屋にあり、出色は源氏物語絵巻でした。

まさに、百年を一気に旅したような、素晴らしい展示でした。

生涯の思い出になる予感がしました。
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by toktokpng | 2006-02-21 05:40
日曜日夜。仕事の帰りにレイトショーで見てきました。

涙がとまらないで、困ってしまいました。

チャン・イーモウ監督は高倉健という俳優になにをやってもらえば、彼が地上に使わされた使命を果たせるかという事を理解して、実際にそれを行うことの出来る、ビッグな人なのだなあと思いました。

「誰もが体験する事」を描いてるわけではないけれど、「誰もがその心情に響振出来る」内容を語っている。

主人公と一緒に中国に入り、旅をした気持ちです。

どこかなつかしい。先祖がきっと暮らしたであろう風景。

地味だと思って、ビデオで見ようと思ってる方、大陸の壮大さを感じるにはスクリーンですよ。

おすすめです。
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by toktokpng | 2006-02-20 10:37

鶴ヶ島での精霊展

僕がパプアニューギニアに行くきっかけをくれた、埼玉県鶴ケ島市のオセアニアコレクション。
二年間嘱託員としてコレクションに関わったけれど、なかなか市民の中にその価値や面白さが伝わらず、力及ばず退職し、コレクションは新しい市長のもと、整理する方向を模索しているようです。

それでも、地元の人々の尽力により、今年も恒例の一般公開を行いました。

僕はなにも協力できなかったけど、土曜日に遠出して行ってきました。
ちょうどマウエ大使(在日パプアニューギニア全権大使)が来られていて、ひさびさの邂逅。
大使はまだ僕を覚えてくださっていました。
鶴ヶ島の小学生・中学生たちも僕の事を覚えてくれていて、一緒に竹楽器を演奏しました。

鶴ヶ島の定番となったこの竹楽器作り。ニューギニアの竹楽器をヒントに子どもたちが手作りで竹をきり、穴をあけて、ナイフでリードを作って、鳴らします。

講師役の民族音楽活動家・中川さんが「音を鳴らすときに、森や林や川をイメージしながら、吹くんだよ」と教えます。

みんなでつくった竹笛・竹ボラの合奏は、目をつむると、パプアの海や山や空を思い出させてくれました。

久々に会った精霊像たちも、まだ、いきいきとした精霊をそのカラダに宿して、これからの行く末をじっと受け止めるため、座していました。

この、すばらしきものたちを。

投げ出すしかない、地方の小さな政府自治体。

僕らの国の本当の貧しさをいたいほど、見せつけられるのです。
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by toktokpng | 2006-02-20 00:29 | パプアニューギニア

あたたかい

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春のぬくもりを、全身に感じます。今日の空気にはどこにも不安を呼び起こすような様子がありません。

銀座の空は春霞です。

いろんな塵が天に召されていくようです。

わけもなく、むねがわきたつ頃ですね。
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by toktokpng | 2006-02-15 13:07
ハッピー・セント・バレンタイン・デイ!

目が覚めると、妻がチョコレートをくれました。
柔らかい舌ざわりの風味高いチョコでした。

幸運。

会社で、同僚が六花亭のバタークッキーをくれました!お菓子のなかで数すくない好物の一つです。なんて偶然。感謝。ラッキーです。

聖バレンタインの日に贈り物に想いを託す。しっかり日本に根付いたこの習慣も、キリスト教の精神のなかで発生しました。クリスマスとならんで、本質を見失った表層の習慣として、揶揄する向きもありますが、キリストの本質は愛で、恋愛も性愛も愛の始まりなのだから、これでいいのではないでしょうか。

僕らが生まれて生きて新しく命をつなぎ、死んでいくその流れに欠かせないことなのだから。

親だから誇れる。と、この前の記事で書いたけど、人間として生きてると言うことだけで誇らしい。今日はそうおもいました。僕らが生まれてくる前からあったクリスマスやバレンタインの「この日だけは人に良いことしてあげよ」という精神は、僕らの生死と関係なくずっと存在しています。
バレンタインに限らず精神は、時空を超えて、優勢になったり隠れたりしながら、龍のように存在し、不滅です。でもそれを受け取って表現できるのは、人間だけなのです。

愛と言う精神。探求と言う精神。美の創造という精神。いろんな龍が時空を飛んでいきます。僕らを通していろんな事を表現してくれます。

ハッピー・バレンタイン!
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by toktokpng | 2006-02-14 13:46

土日つらつら

美輪明宏さんが、女性雑誌の連載記事で「最近の日本人はオーラを失ったから、野山の動物たちが気軽に里に降りてくるようになった。オーラが薄くなったのは誇りを持って生きていないからだ」という内容の事を書いていました。

誇り・・・。

この、土日は体調が悪く、どこにも出かけませんでした。行ったといえば江戸川の土手に家族四人で散歩に行ったくらい。息子はおもちゃのラグビーボールを蹴って遊んでいました。土手に寝っころがって空を見あげると、真っ青でどこまでもひろい空間に自分が包まれました。
今夜のニュースで飛鳥が最後の航海を終えて帰港した話題をやっていました。去年のこの時期はこの真っ青な空を、その飛鳥の甲板から見上げていた事を思い出します。

あの頃はまだ、就職先が決まってなくて、フリーランスの活動で家族を養っていける見込みもなく、不安定な日々を送っていたように思います。
しかし、飛鳥でニューギニアの美術についてのクラスをもち、乗客の皆さんにぼくが学んできた何がしかを伝えるられるのだ、という誇りを持っていたように覚えています。

新居に越して二ヶ月以上が立ちますが、なかなか新しい制作環境が整わず、次の絵が描きだせません。

今の会社にはいり、すこし畑のちがうグラフィックデザインの仕事をさせてもらうようになって、もうすぐ1年。なかなか戦力として一人前になりきれない自分を歯がゆく思っています。

誇り・・・。

結局、一週間の疲れを取るのがやっとの週末。どうもいまの僕は誇りをもっているとは言いがたい様子です。

ところで、どこにも出かけなくてても、家にいると子どもと過ごすというイベントがあります。おむつを替えたり、子どもの目線におりて一緒にご飯を食べたり。寝っころがったり、飛び跳ねたり。上に乗っかられて、みぞおちにジャンピングボンバーを食らわされたり。それはそれはたのしい時間です。

そして、さいごに一緒にお風呂に入ります。
そっと、お湯をかけて、泡をながし、しっかり抱きながら湯船につかります。娘は10ヶ月。つかまり立ちがもうすぐ出来るかなという時期で、しっかり抱いてないと湯船のなかで歩こうとして溺れそうになります。

誇り。二日休んで頭痛が少しとれてきた夜。湯船の中で頭とカラダをしっかりくっつけて僕の腕の中にいるあたたかい娘を抱いて、「この子の親なのだ。」ということを誇りに思いました。

この二人の命の親であるんだ。それは誇らしい事だ。

そう、思いました。
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by toktokpng | 2006-02-12 22:59 | 日常

冬の空気

今日はいくぶん、寒が緩みましたか?
寒波がくると、切ないほどに寒いですが、その後にくる緩やかな風は、少しずつ暖気をおびています。

季節は今日もゆりかごのように進みます。

過ぎ去る冬の空気を把握するなら、入れ替わる初春の空気と比べてみるのがよいようです。

その去り行くものの性格は「厳しい教師」。

僕にはそう感じられました。
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by toktokpng | 2006-02-10 00:45

凡人だからこそ

仕事の帰り道。携帯でブログを書いて、それを読んでくれる人がいる。なんだか二倍生きてる気がして嬉しいです。読んでくれた人から、「携帯でかくような(軽い)内容じゃないよね」と感想をもらったりしました。

普通の人なので、一人のじかんには、大きなことでも考えてないと、すぐ、ボーっとしてしまうのです。

今夜はニューギニアに行く前のニ、三年、本を読んで親しんだ「禅」の事なんかを思い出しています。

「為」という事の意味をいろんな意味で考えることを禅は教えてくれました。

無為の真人という言葉がありました。二面性のない、完全な人は「なにかの為」になにかを為すことはなく、無為の行いが、その時所位において最良の行いになっていると。そのように理解しています。

さて、僕らは働いて「誰かの為」を思い、仕事をしていますが、それが最良の行為になる事が何割あるでしょうか。

ありがためいわくになることもしばしば。

今日だれかのためになにを為せただろうか。と、1日のおわりに思う人は良い人でしょう。

しかし、1日の終わりに何の為でもないなにかを朗らかになせる人は素敵な人です。

なにかの「為」ばかりかんがえてると、なぜか人は行き詰まってしまうのです。ほら、「人」が「為」に近づいて行き過ぎると・・・。

偽の人生を送らぬよう、いろいろ忘れてみることも大事ですね。
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by toktokpng | 2006-02-07 23:45

うっすらと

朝、会社にいくまで何本かの川をわたります。河原や土手が、うっすらと白く、雪化粧。その周りの家々の屋根も薄化粧。
昨晩、みぞれが降ってましたが、そのあと雪になったのですね。

いま、一番さむい2月を迎えているのですものね。

じっとがまん。
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by toktokpng | 2006-02-07 09:40