「らうん」とは僕がかつて暮らしたパプアの言葉で「旅する・ぶらぶらする」という意味です。光を描く画家、八坂圭が日々を見つめ、愛し、感じた事を福岡からつづっています。


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<   2006年 10月 ( 13 )   > この月の画像一覧

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もう10月がすぎさろうとしている。長く寒い冬が近づく。苦手な季節だ。

会社のそばに秋から春にかけてだけとても美味しいタイヤキを売っているお店があった。
寒い時、一個120円で尻尾までアンコがたっぷりで皮もパリッととして、舌にいつまでもベターっと甘さが残らない絶品のタイヤキは、ずいぶん僕の心を温めてくれた。

気がついたら、いつの間にか閉店していた。

おじいさんが一人でやってたもんな。あのタイヤキの味はどこにいっちゃうんだろうか。
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by toktokpng | 2006-10-31 13:17

父親たちの星条旗

硫黄島での戦闘を、日米両国から描くという壮大な試みの二部作。
クリント・イーストウッドの最新作は、世界に戦争がたえないこの時期に
人間と戦争というテーマを、今彼にとって、また世界にとっても出来うる限りの
理解力と表象力をもって取り組もうとしている。
まずは、アメリカ側から見た硫黄島から公開。日本側からの硫黄島は12月9日(!)
ジョン・レノンの命日、真珠湾攻撃の日の翌日に公開される。

僕らは、第二次世界大戦から遠いところで育ったという感覚があるが、
記録や映像作品、また戦後の文化を振り返ってみれば
どれほど甚大な破壊がもたらされたかを知るし、また、文化自体が
一度そこで、リセットされている印象は多かれ少なかれ僕らの世代でも
理解はしていると思う。

リセットされた後の世界に住んでいる僕らには、リセットされるまえの世界を想像する事は難しい。しかし、この映画をみて改めて感じる事は、アメリカはあの戦争でなにもリセットされたわけではないという事だ。

この映画では、硫黄島にアメリカの国旗を立てんとする兵士達の有名な写真が鍵になって話が進む。戦闘の現場では、どちらかというと、リラックスした雰囲気のなかで行なわれた、国旗の掲揚。その様子を捉えた写真が祖国では実際以上の緊張感と高揚感を呼び起こし、旗を掲げる「作業」をしていた兵士達が、戦友を置いて本国に帰還し、戦時国債のセールスに駆り出される。
そのことの矛盾に悩む兵士。陽気に受け入れる兵士。ただ、現実を直視し続ける兵士。

アメリカはあの戦争だけでなく、その後もいくつもの戦争を繰り返し、勝ったにせよ負けたにせよ、戦争を行なうたびに何か重いものを国内に抱え込んでいる。はっきりとした勝敗のあった太平洋戦争でも、これだけの矛盾と痛みを抱え込んでいたのだという事をイーストウッド監督はしっかりと表現している。

そして、それらの重みは一つもリセットされずに、現在のアメリカにつながっているのだ。
戦争を欲せずとも戦い続けるしかない流れは、この映画の舞台の時間も今も何も変わっていない。

映画の中には、この一作では話の輪がつながらない箇所があって、
二部作ならではの工夫がされている。

さて、次はリセット前の日本を舞台にした「硫黄島からの手紙」だ。
あと、一ヶ月とすこし。興味深く待つとしよう。
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by toktokpng | 2006-10-30 00:29 | 映画

とどけ、絵のひかり

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土曜日、MOAの療法士の資格をもらった。
これで中間法人MOAの認可のもと、求めに応じて癒しの術を施す事を認められた。
MOAは食事や美術や独自の医療を通じて、全国的に人々の人生の質の向上を高める運動を続けている団体だ。浅草にも小さな活動拠点があって、そこで体の不調を訴えて尋ねてくる人々に療法を施している。僕がもらった資格はまだまだ、一番最初の見習い資格だが、この浅草会館で療法を施すボランティアをする事が出来る。

その浅草会館に、一枚の絵を寄贈させてもらった。

「音楽・踊り・絵画の神々」

僕が思うところの時空間の存在、精霊の住む場所。その空間に存在する神々の姿を
柔らかい光と形で捉えたところの絵だ。

絵を通じて、その空間からの光がまわりに広がる事を目指したこの一枚が、
癒しを求めて集まる人々に何か気持ちのよい働きをしてくれる事を願っている。

絵を受け入れてくれたMOAスタッフの方に感謝。

資格を得たこの喜ばしい日に感謝。
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by toktokpng | 2006-10-29 12:47 | 創作

妹の家

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二日続けて休むなんて久しぶりで、今日は前から行こうと思っていた妹の家に行く。
妹の家は目黒にある。メゾン形式の家で、近しい間柄の人々が何世帯か住んでいる。
今は家主が海外赴任中で、妹夫婦は家主の部屋に住んでいる。
だからとても立派な部屋だ。部屋には僕が結婚のときと出産のときにプレゼントした絵が一番良い場所に飾ってくれてあった。
僕の娘と同じ学年になる息子が一人。僕らの二人の暴れん坊と三人のちびっ子で部屋の中で遊び回る。

部屋がひろくてのびのびしてたね。
美しく整えられた部屋で、僕も柔らかいソファーに寝そべって、疲れた体を休める事が出来たよ。

妹の旦那も僕と似たような業界で働いていて、似たように勤務時間が過酷だ。
だけど、今日はいとこ、兄弟で会えて忙しさを忘れてのんびり過ごせたね。

良い時間をかき集めて、少しずつ夢に近づいていきたいものだ。
もっと、たくさん絵を描きたいものだ。
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by toktokpng | 2006-10-22 22:36 | 日常

イルマーレ

木曜から金曜にかけてはまた徹夜。徹夜明けの夜には辞めていく同僚の送別会。この1年半で、15人くらいを見送った。この業界では、どこのプロダクションでもそれはそんなに珍しい事ではないと聞いている。久々に土曜も日曜も休めるようで、送別会では終電までたっぷりお酒を飲んで過ごした。

土曜日。昼間は子どもたちと散歩。河原を駆け回る二人を追いかけたり、背負ったり、ころがったり。風呂に入れたあと、レイトショーで前から見ようと思っていた映画を見に行く。

2000年の韓国映画のリメイク、イルマーレ。
二年の時空を超えて手紙が行き来する不思議なポストが登場するSFラブストーリー。
キアヌ・リーブスとサンドラ・ブルックが主演の美しい映画だった。
恋愛映画なんて気の抜けたものは見ないと言う人もいっぱいいるだろうが、
僕は、上質なラブロマンスはたまに無性に見たくなる。
でも、立て続けに見ると辟易したり、また、B級だったりすると気分が悪くなったりする。
たとえば、「カサブランカ」くらいの上質さ。
そういう映画をみると、恋をしたときのような魂のぬくもりに出会える。
原題は「The Lake House」湖畔に佇む主人公の父が建てたグラスハウスが舞台になっている。ファンタジーなんだけれど、チープさを感じさせない、マホガニーの家具のような上質さを感じる事の出来る映画だった。

恋愛って言うのは、そんなにいっぱいしなくても良いと思うのだが、
恋愛を通じてしか、学べない魂のテーマというのはあるのだと思う。
恋愛ばっかりしてるほど、現実の生活はヒマじゃないから、
高級な恋愛小説や、映画は、忙しい現実の人生を歩む僕ら庶民に
大いに資する知的所産だとおもう。

切ない恋心を体験できて
よかったよかった。
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by toktokpng | 2006-10-22 01:30 | 映画

佐倉城址公園

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土曜も当然のように出勤。しかも、帰ってこれたのは日曜の朝。

だとしても、今日は休み。少しでも、仕事から離れた時間を作りたくて、昼から出かけることにした。最近ロクに寝てないのに、ようやるわ・・。

グーグルマップを使ってみる。空撮の関東地図に線路や道が重ね合わさる地図は直観的だ。
高砂駅から行きやすそうで緑の多そうな場所を探す。
クリック。

佐倉という駅。

公園は?

佐倉城址公園という場所がヒットした。
「よし、ここへいこう!」
子供たちは、電車に乗るといつも興奮してはしゃぎだす。50分間かわいくて、でも、やきもきする時間。

佐倉につくと、お囃子が聞こえる。
今日は偶然にも、年に一度の秋祭りの日だったのだ。
山車がとても立派で、かなり大きなお祭りのようだった。
でも、日が暮れる前にまず公園へ。

空壕の美しい城跡で、夕日に照る秋空を家族で楽しむ事が出来た。
数十分間、だんだんに色の変わる夕暮れの景色を楽しむと
ほんの少し、旅をしてる気分。

暗くなって駅へと向かう道、エイヤサーエイヤサーというお囃子とかけ声に誘われて
脇道に入ると、出店や提灯、地域中の子どもたちで溢れかえった秋祭りの現場に。

お神酒をもらったり、お餅を食べたり。山車も5つは見た。それぞれ趣向を凝らし
お神楽隊が載っている。

思わず、満喫してしまった。

夜は、オンデマンドTVで、NHKスペシャルの名作「宇宙」を見て、
気分を毎日の喧噪から救い出す。

こうやって自分を取り戻しながら、働け働け。

巡り合わせの神様に、今日も感謝。
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by toktokpng | 2006-10-15 22:17

しっかたないなあ

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ブイのメンバーとサヨナラをして、翌日。翌朝まで仕事。その後今週はタクシーの日も多く、いま、36時間ぶりに退出。そして、明日も。

仕事の厳しさがピークに来つつあります。

そんななか、昼を食べに外へ出たとき、たまたま友達の写真家が個展をやっていました。

熊谷聖司さん。国分寺に住んでいた頃の仲間です。「物」にピントのあっていない、空気のどこかにピントがきてる、不思議な写真。あちこちで撮った柔らかい写真が徹夜あけの心に染み入ります。
そのなかで、一点、竹林を見上げた写真がありました。緑の光と空気、竹の幹の黒い影。一見して、なにと分かる写真でないのに、すぐに僕の頭には国分寺崖線(ハケ)という言葉と、お鷹の道の裏山の竹藪を思い出しました。時折、獣道を歩き、竹林のなか風の人になれた日々。

「これって、国分寺の・・・、」
「そうそう!分かる?殿ヶ谷公園。」

裏山ではなかったけど、ハケ沿いに続く同じ竹林の写真だったのだ。

こんなに正確に気分を再生している写真。凄い。

熊谷さんはほんとに僕がみてた霊気にピントを合わせてシャッターを切ったのか。写真展のタイトルは「焦点」。


昼休みはすぐに終わる。ほんの短い時間だったが、再会と素敵な写真に感謝。

いっそがし過ぎるけど、こんなラッキーがたまにくるからなあ。しっかたないなあ。

今の生活でしか見えてこない風もあるんだろうしな。
焦点を少し、「物」の前後にもっていけば・・。
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by toktokpng | 2006-10-13 23:16
埼玉県の鶴ケ島市という、すこしだけ辺鄙なところに1,725点ものニューギニアを中心とした地域の文化財が保管してある。
何度かこのブログでもその事を書いたが、とにかくすごい質と量だ。
いろんな経緯があって、現職の市長はこの文化財をお荷物としている。
文化的価値も認めず、ただただ放り出したい気分にかられているようだ。

大人げない。

それでも、この文化財との出会いがいろいろな出会いを生み、現地の人々との交流を呼び込み、その交流のなかで、多くの子どもたちや、心ある大人達が集い、いつくしんできた。

今回は市の協力を得ずに、鶴ヶ島の市民や有志の人々、またニューギニアの村人たちの寄付金で彼らの渡航費をまかない、来日が実現した。

今日は、彼らの舞踏を鑑賞するのではなく、彼らの文化について、語り合う会。

僕が司会と通訳を務めさせてもらった。

一番ぐさりときた内容を要約しようと思う。

日本では、子どもたちの引きこもりや親殺し、自殺などの問題が社会問題としてある。
ニューギニアには学校がない、学校に行かせるにも教育費がない(ニューギニアでは初等教育にもお金が必要)という常在的な問題がある。
ブイのメンバーは日本の新潟パプアニューギニア協会というグループが、彼らの村に学校やノート・鉛筆などの提供をしてくれている事を感謝している。
そして、彼らの村の価値観や文化を日本の子どもたちに伝える事で、日本の子どもたちが抱えてる問題の解決の糸口を与えられたらとおもっている。そのため、数回、新潟の子どもたちが彼らの村を尋ねている。

なんで、日本の子どもたちの心が空虚になってしまったのか。
彼らの発言。
日本の子どもたちは多様な価値観の中で混乱しているのではないか。また、親もそのような社会の中で、どのような価値観を示唆する事が出来るのか逡巡しているため、子どもは何に従って良いのか解らないのではないか。大人が逡巡する理由として、日本のようにお金がなくては生きていけない国では、子どもたちを将来お金が稼げる子に育てるしかしょうがない。しかし親たちもどのようにしたら恒久的にお金を稼げるか知らない。だから、確固たる価値観などは示し得る筈もない。
一方、我々の村社会では、「父母が第一の教師だぞ」と明確に伝えている。それでも言う事を効かないときは、一族の叔父連中がとくとくと子どもに教え諭す。一族の道徳について。もし彼らが言う事をきかなくて出て行ったとしても、森には彼らが飢えないくらいの食べ物はあり、我々の価値観が現代社会において非生産的であったとしても、畑には充分食べ物がある。だから先祖から引き継いできた価値観を子どもたちに伝える事にためらいはない。

要約すると、このような意味だ。

我々は豊かな土地に生きている。あなた方は貧しい土地に生きている。それぞれの苦しみがあるのが実相だ。

まさにその通りだと思う。

しかし、日本には豊かな精神が息づいていた過去がある。
また、その美風はおちこちにぱらぱらと息づいている。

十六夜の今夜、「昨日、月をみたかい?」と、ブイのメンバーに聞いた。
こういう話題は、職場でも家庭でもまず盛り上がらない。
ブイのメンバーは、5、6人で声を合わせ
「イエース!!見た見た見た見た!!! まんまるだったよなー!」
と、いきなり盛り上がった。

月のきらめき、草花の成長、雲の行く先、空の色の変化。

これらの事を話題にするとき、ニューギニアの彼らとはすぐに気分をともにする事が出来る。

様々な修辞法がなくても、人間は自然美と対面する事が出来るはずなのだ。
なぜ、彼らにはそれが出来て、僕らはそれが苦手になってしまっているのだろう。

やるせない気持ちが多く残り、彼らと別れた。
再会・別れ・また会える日を望んで。

ありがとう・ブイジェネレーション。
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by toktokpng | 2006-10-09 01:59 | パプアニューギニア

運動会

二時間ほど寝て保育園へ。
二度ほど子どもを送りにいった事があるが、あんなせまい保育園でなにをやるんだろう・・と思っていると、近くの中学校の校庭へ移動。なるほど。

砂地の校庭は水はけがとてもよく、外で運動会を行う事へ。
お父さんたちが集まって、保育士さんの指示で道具を運んだりテントを張ったり。
みんななんて挨拶していいのか、どんな話題をしていいのか、
なんだか黙々と作業をして、笑顔で会釈する程度のコミュニケーション。
二年、三年と続いていくと、顔見知りができるのだろうか。

うちの子どもは二歳と一歳。

まだ、競技と言ってもなにができるわけでもない。親と一緒に走ったり、お菓子をもらったり。
でも、家族四人とても楽しかった。

昼前には三歳以下の子どもたちは任意解散。せっかくお弁当を作っていっていたので、
江戸川の河原へ。雨はやんだが風がとても強い。昨日の豪雨で川は増水して景観が変わっていた。それにしてもそらが高い。雲が美しい。

そんな天気に誘われて、また、水元公園へ。
つく頃には夕焼けになりつつあるそら。広い公園を自転車で流しながら、
変わりゆくそらの色を楽しむ。

「奇麗だねー」というと、息子も「ウン・キレダネー」とハッキリしない発音で言っている。

帰り道、満月が水平の位置に顔を出す。

まんまる。

中秋の名月。
慈光。イエス様の光。

「オツキサダー!」息子も分かった様子。

澄んだ空気に冷たく、きりりと光の穴があいた。

空と大地の慈しみをうけて、僕らは育っていく。親も子も。
素敵な一日だった。
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by toktokpng | 2006-10-08 00:03 | 日常

一週間を切り抜けて

すごい雨だった。午前3時半帰宅。

とはいえ、あの徹夜のあとは二日続けて9時台に帰れた。
水曜などは、子どもが寝たあとに妻と焼き肉を食べにいったりした。
今朝はこんな時間になってしまったが、この連休、月曜以外は休める事になった。
明日は午前7:30から保育園の運動会の準備。父兄が活躍する数少ない機会。
ほとんど寝る時間はないが、なぜかすごく楽しみだ。

7日は中秋の名月。どうやら夜は晴れそうだ。

日曜日は、ブイ・ジェネレーションとの座談会。
休みを確保して、これにも参加できる事になった。

なんだか悪くない一週間じゃないか。

束縛と、自由と、集いと、時の運と。
チャンスの神様には後ろ髪がない。前髪をひん掴んでついてかないと。

振り落とされそうになりながらも、神様ありがとう。
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by toktokpng | 2006-10-07 03:33 | 日常