「らうん」とは僕がかつて暮らしたパプアの言葉で「旅する・ぶらぶらする」という意味です。光を描く画家、八坂圭が日々を見つめ、愛し、感じた事を福岡からつづっています。


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仕事納め

今日は会社のみなが大回転で掃除をしていた。次々と整頓され、磨かれていく様に圧倒されてしまう。僕などは自分のデスク周りを整理するのがやっとだ。

デザインとは整理整頓だと言えるかもしれない。日々、凄まじい量の情報をディスプレイ上で整理して、自分達の身の回りに手が回ってなかったりするひとも、いざ、年末の大掃除となると、力を発揮する。さすがデザイナーだ・・・。と、感心する。

どうも、そういう気質が僕には抜けているように思う。

ずいぶん綺麗になったデザインオフィスをあとに、早めに帰れる人から帰って行く。
「お疲れ様、よいお年を。」

まだ、年末も、また年始も、会社に出るスタッフもいる。それでも取りあえず一区切りの挨拶。

僕も終電をつかまえて、年末年始は4日まで休み。

子供とキャンバスに向き合う日々。

皆さんお疲れ様。
よい休暇を。
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by toktokpng | 2006-12-29 00:26

磨けば光るところ

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明日で仕事納め。みんな早めに帰れるようで、いつも不夜城の会社にも年の瀬らしい空気が流れています。
時間がある人はちょこちょこと片付けをしたり掃除をしたりして。
僕は掃除や整理整頓を面倒くさがる癖がついてしまっていて、自分に鞭打ってたまに向き合おうとしてるのだけど、気がつくと書類の山のなかで仕事をしています。

今日も周りの雰囲気から、ちょっと掃除っぽいことに手を付けてみました。

流しを軽く磨いてるときに思ったのですが、流しはステンレスだから、磨くと光んですよね。あっちこっち汚いんで光ると目立つのです。そのとき「ああ、磨くと光るところから掃除すると、効率がいいなあ」と思いました。なんか手っ取り早く綺麗になったかんじがするし、その綺麗さを基準に周りをみたら、どの辺りを掃除したらいいのかも自ずと見えてきます。で、その時、「人も一瞬だもんねー」と、思ったのです。ざらざらの壁とか、床なんかは、結構根気よくやったって光りはしないじゃないですか。だけど「ヒカリモノ」は磨くと光る。人も磨いて綺麗になったところで、光りはしない部分とちょっと磨けばテラテラする部分とあると思います。
そういう磨けば光るところから磨いて行けば、結構、人っていつからでも、変わっていけるんじゃないかななんて。

掃除しなれない人が、たまに掃除をするもんだから、なんだか飛躍してしまいましたね。

あんまりそんなに飛んだところに気持ちを持っていかずに、あしたはちゃんと目の前のゴチャゴチャに向き合って、地道に掃除をしたいと思います・・・。
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by toktokpng | 2006-12-27 23:16
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昨夜はすごい雨が降りました。大気圏の大掃除だったのでしょうか。雷の音もいくつか聞こえました。

今日は一転、抜けるような青空で、気温も高く、うららかな陽気です。

久しぶりに公園で昼を過ごす気になって、確か11月に「まだ、葉の落ちていない柳」という話題を書いたのですが、その柳がどうなったか見に来ました。

少しは元気がなくなったようですが、まだまだ緑の葉が風に揺れて青空に映えていました。柳の性質って本当にしなやかでしぶとくてしたたかです。

仕事も今のところ、年内に大波がくることもなさそうだし、なんと、手術を受けた父も大晦日前に退院するそうで、この温かい日に平穏な時を実感しています。
冬の真っ只中に、こんな1日があったことは、忘れ去られていくのでしょうけれども。

12月27日
東京の天気:晴れ
最高気温:20℃
降水確率:0%
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by toktokpng | 2006-12-27 14:02
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皆さん、聖夜にいいことはありましたか?

僕は9時頃帰宅出来た事がまず、いいこと。
そして、駅前で買って帰ったショートケーキを子供と伴侶が喜んでくれたこと。
その時に、「今日は碧と佳花のなかにある、大きな光を下さった方が地上に降りられたことをお祝いする日なんだよ、乾杯」と言おうとしたんですが、言い終わるか終わらないかのうちに二人の子供たちは「ヤッター!」と両手をあげて喜びました。そのあとも息子は「碧クンのオーキナ・・・ヤッター!」とバンザイを続けていました。

まだ、2人とも言葉はおぼつきません。あのやりとりの一瞬、僕が言ったことが伝わったのか、それとも手振り身振りに反射しただけだったのか。

でも、あの瞬間、言葉以上のなにかが子供たちの中に伝わったような気がしたのです。

ほんとに大きな光は目には見えませんが、その光の降誕を祝うこと、その光が偉大である事が子供たちに伝わったのかもしれない。それは光のスピリットが彼らに入っていった瞬間。

それは奇跡だったのかもしれません。

だけど、盛り上がりは一瞬で過ぎ去って、二人は少し夜更かしをして眠っていきました。

大人は気づかないけれど、奇跡はそうやってこっそり起こっているのかもしれません。

小さな事に大事なことは宿るもの、ナノダヨ。
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by toktokpng | 2006-12-26 13:43

太陽の子ら

多分、去年も書いたけれど、クリスマスはイエス様の生誕を祝うだけの意味ではない。イエス様の生まれた季節には諸説あって、少なくとも12月ではなさそうらしい。キリスト教が広まった地域にもともと太陽神を崇拝する土着の宗教があって、その太陽の復活祭がキリスト教に引き継がれたという説がある。

というのは何かの受け売りなのだが。

に、しても、天体を観測しその運航で暦を作っていたのは洋の東西を問わず同じなわけで、この冬至の時期を過ぎて、1日1日昼間が長く、夜が短くなってゆく。

旧暦の頃の日本でいえば、冬至の時期は、まだ年の瀬ではない。啓蟄のころに太陽の力強さを感じて、新年を祝ったと思う。

どちらにせよ、僕らは太陽の力を意識的にも、意識下でも、魂のレベルでも待ち望んでいるのだと思う。

キリスト教徒であろうとなかろうと、多くの国で暖かい祝福の気持ちでこの夜を過ごす風習が受け入れられて来たのは、よく言われるように、大量消費経済の産物だからであるのみではなく、そのような人間が本来的に持っている太陽への希求によるのではないだろうか。

僕らは光の子なのだから、太陽に育まれてきたのだから、太陽の運航はきっと僕らの心に影響があって、僕らもその影響に思いの外、敏感なんだ。

だから聖夜といわれる頃には幸せな奇跡が多かったりする。
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by toktokpng | 2006-12-25 21:06

メリークリスマス

今週はずっと電車で帰ってくる事が出来た。
いいペースで仕事が出来たし、疲れもだいぶとれてきた。
しかし、土日休むために、金曜は朝まで働いていた。
仕事が終わったのが7時半。帰ってきて寝て、目が覚めてのんびりしていると
もう日が暮れてしまった。

今日は少し早いけどクリスマスの食事。
ちょっといつもよりグレードアップの夕食を。
子どもたちは風邪気味であまり食べられなかったが
一瞬だが団欒の幸せを感じた。

24節気は冬至。

一年の地球の呼吸がひと回りする。
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by toktokpng | 2006-12-23 22:41 | 日常

子どもと過ごす

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久しぶりに休日気分。家族で水元公園へ。最後にきたときは、風が強くて子どもたちが泣き出してしまった。今日は暦は大雪をすぎてるのに寒さがゆるんで過ごしやすい。

午前中には保育園のクリスマス会があった。とはいえイエス様にはなんの関係もないお遊戯会といったかんじ。保育園版学芸会といったところか。僕はキリスト教会の幼稚園だったので、キャンドルサービスや賛美歌の合唱をしたことを思い出す。
長男は舞台の上でニコニコ。飛び跳ねて踊っていた。長女はぼーっとしてしまって、練習してきた踊りを披露できなかったようだ。とはいえ泣いてしまったり舞台の袖へ逃げてしまう子も少なくないなか、二人とも物おじせず堂々としてて頼もしかった。

冬の水元公園は枯れ木立がそれはそれで美しく、水面に整然とならぶ灰褐色の柔らかい線がリズミカルで心地良かった。

温かい1日をありがとう。
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by toktokpng | 2006-12-16 20:39

一息

昨日も今日も電車で帰ってきた。しかも終電じゃない。
やっと、この三週間の山を越えたようだ。
ひと息つく間はあるのだろうか。また、すぐ眠れないような仕事がやってくるのだろうか。

父の手術はうまくいったらしく、まだ声は聞いてないが
落ち着いているということだ。

神様ありがとう。

久々に睡眠をしっかり取ると、体に疲労感や眠さを感じた。
一日からだがぼーっとしていた。

以前お願いしていたキャンバスが届いた。
久しぶりに大きめの作品になる。

会社の仕事だけじゃない。
こっちの仕事もある。

時間はなくとも、落ち着いて、焦らず、寝れるときに寝て、ハタラケハタラケオレ。
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by toktokpng | 2006-12-14 23:45 | 日常

仕事

今日は終電車に乗れた。映画をみた次の日曜日も出勤。もともとわかっていた事。しかし始発まで帰れないとは思ってなかった。月曜日は昼から出社して、また午前三時頃帰宅。今日も昼から出て、とうとう電車で帰ることができた。

ラッキー。

仕事は1人でやっているわけではないから、このハードスケジュールは僕だけのものではない。いろんなスタッフのハードスケジュールが集まって、ひと仕事になる。みなさんお疲れさまです。

最近、すこしは自分のやってる事が仕事がましくなってきたような気もする。すこし畑違いの職業について1年と10ヶ月。まだ、かなり手探りだけどトライ&エラーを繰り返して、すこしはフィードバックが蓄積して来ている。忙しさのおかげで早く経験を積めるのだから、帰れない夜もありがたいのかもしれない。

そう思って、不平を持たないよう過ごせたら、ストレスも疲れも半減するかもしれない。

自分の不機嫌がいちばん体力を消耗する。こういう多忙な仕事をやっていくには不機嫌にならないお気楽な性格が何より大事なんだと思う。

そういう多忙な仕事を続けてきた大先輩の父が、明日、手術をうける。正月も病院で越すことになりそうだという。蕎麦打ちの得意な父、今年はみんなに年越し蕎麦を振る舞えないな。

のほほんと、手術の日を待っている様子を伝えきいている。

きっとまた元気になってくれると信じている。

そういうことも、諸々も、心配にとらわれたりすることもなく、微笑んで、日々を過ぎていこう。
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by toktokpng | 2006-12-13 00:40

硫黄島からの手紙

土曜。当然出勤。
しかし昼からなので、午前中に足裏マッサージにいく。家から一分のところに雰囲気のいいリフレクソロジーの店があるのだ。あまりに徹夜が続いたときなど、たまに行っている。疲れがとれるだけでなく、継続して通ってるので、体の状態を客観的に診てくれて、健康管理になる。今日のコメントは「忙しかった割には体はバランスを保ってますね、不思議なくらい。」

ハンドヒーリングのおかげだと思った。

仕事は8時頃終わり、先月から待っていた「硫黄島からの手紙」を丸の内ピカデリーに見に行く。

アラシ(だっけ?)の二宮君という俳優が、渡辺謙を差し置いてアカデミーにノミネートされたんですよね。

いろんな事を含んでいて、大きく鈍い衝撃を胸にのこしていった。

戦闘と言う現場で人間ひとりひとりがその性質の高い部分も低い部分も愛すべき部分も憎むべき部分もすべてむき出してしまうというのはわかる。さらに思うのは戦闘集団が属する社会の性質もそこに鮮明に浮かび上がってくるだろうということだ。集団の遺伝子とでもいうべきものが確かにあって、日本は65年前の昨日から始まった戦闘を今夜みた映画のような凄惨な終局に迎え、その遺伝子構造をガラッと変えてしまったのだ。映画が終わったあとのエレベーターに乗り込む観客たち、艶やかな若い女性の談笑する様子(この映画のあとに笑みがある時点で理解しがたい未来の遺伝子が活性していると思った)パリッとした上質のコートやスーツに身を包んだ男性達。

映画のエンディングタイトルには、「この映画は演出上の目的で脚色を加えてありますが、歴史的出来事に基づいています」とのコメントがあったが、その戦闘と同じ社会集団の延長線上に目の前の豊かな光景があることが不思議だ。一つの奇跡だとしか感じられなかった。このような変化をとげたのは、社会集団があのような極限的な状態でさらけ出した、絶対的な縦社会、盲目的な服従を容認する構造、その構造のなかに暴力の横溢があることへの寛容など、いまだ変え難くこの社会集団に残る遺伝子を敗戦という結論によって、いくばくかでも不活性にすることが出来たからに相違ない。

五年まえ、お盆の夜に沖縄の平和記念公園を訪ねた。戦い、弊れた先人たちの思いが胸いっぱいに飛び込んできたように思った。「本当にあなたがたの生きた時間の上に、いま僕らがいます。ありがとう。」と心で何度も祈った。

それはニューギニアでも、何度も思い、祈ったこと。
だから、僕らは決してあの敗戦で不活性化した遺伝子を復活させるような事をしてはいけない。それが一番の供養だ。だからこそ、非戦の誓なのだ。

同時にそのような消し去られるべき性質が極限まで発露しているときに、集団が守り育ててきた人格的美徳もまた、極限的な英雄的行為としていくつも存在してたのだろうと思う。この映画に描かれた栗林キャプテンの美しさや、大宮のパン屋の魅力も、綺羅星のごとく戦場にいくつも光ったに違いない。それらこそは僕らが受け継ぎ活性化し続けていかなければいけない遺伝子だろう。

戦いをへて、たくさんの悲しみをこえながら、それでも世界はすこしづつ良くなっている。
そうなのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

少なくとも、クリント・イーストウッドとスピルバーグというアメリカの大巨匠が二人もこの作品に熱意と誠意を尽くして描いたことは人類という社会集団がみせた美徳と言えないだろうか。

ぼくも朗らかな一兵卒でありたい。
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by toktokpng | 2006-12-10 00:18 | 映画