「らうん」とは僕がかつて暮らしたパプアの言葉で「旅する・ぶらぶらする」という意味です。光を描く画家、八坂圭が日々を見つめ、愛し、感じた事を福岡からつづっています。


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読み終わってしまった


以前紹介したシャタイナーの色彩の本。とうとう読み終わってしまった。ちょっと寂しい。

息子は昨日、なんだか甘えてるなあと思ったら案の定体調を崩していたようで、娘も一緒に保育園を休んでいる。ゆっくり温かい日差しの中で微睡んでください。

この本に書いている事ではないが、シャタイナーの考え方で人生の七年周期というのがあって最初の七年は夢の中のような時期だと言っている。

娘や息子を見ていると、確かにそうだろうなと思う。今日読み終わった本に「美と夢は強く関係し、眠りと真実は深く関係して、善は目覚めて活動する事とつながっている」と言うことが書いてあったが、きっとこの色彩の本に書いてあるような色についての深い意味は息子や娘たちの方が遙かに理解しているのかもしれない。

絵を描いていても、本を読んでいても、なにか頭の中に大事なこと本当のことに近づくと、わくわくする。そのわくわくを通じて精霊たちと語り合ってるような気がする。「そうそう、それだよ!」と精霊たちが、パプアニューギニアから語りかけてくれる気がする。
そういうのを気づきと呼ぶなら、この本は「気づき」に満ちた本でした。

絵を描かないひとにとっても。きっと。

強く、おすすめです。
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by toktokpng | 2007-01-31 14:07 | カルチャー

暖かい日

今月頭に3歳になった息子。
まだうまく喋れないけれど、言いたいことはたくさんあるし、僕が話してることもほとんどわかっているんだよね。
今朝は僕の布団に潜り込んで、なかなか起きようとしなかった。もう自分でズボンもはけるのに、シャツもパンツも靴下も、「オキガエスル」って言って僕にやらせたね。
朝ご飯も僕の膝の上で食べて、保育園にいくまでコアラのようにしがみついていた。
保育園にいく自転車の補助椅子のうえでジャンパーのボタンを指差して、僕は一つずつ留めていった。
今日も元気でねと声をかけると「元気ダヨ、バイバーイ」と言ってそのときは笑顔で出かけていったね。あんまりぐずってお母さんを泣かせるなよ。

今日は日差しが強くて暖かい。何でもないけれど、何でもなく子供が甘えてくれた今日みたいな日の事をこれから何度も思い出すんだろうな。

ぬくもりをくれてありがとう。


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by toktokpng | 2007-01-30 10:29 | 日常

色と形を解放する

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昨日、絵を描く仲間から連絡があった。
絵本の外国コンペに入選したと言う知らせだった。
「おめでとう。」

お互い結婚して、働きながら制作を続けている。
世に作品を問い、認められるにはどう活動していっていいのか。絵画という表現手段の世界では明確でメジャーな道がないのが現状だ。少なくとも日本では。
僕は、定期的に東京で個展をする事で、作品を世に問おうという気持ちはある。

しかし、認めて欲しいという思いよりも、それぞれの絵と観る人の出会い一つ一つの暖かさや輝きにこそ価値がある気もして、「秤にかける」ということに積極的にはなれないでいる。

仲間は、コンペという形でそれを世に問い、誉れを受けれる事になった。
それをきっかけに道を開いて欲しいと思うし、成功を心からお祈りする。

日曜日、ティアラの輝きや装飾性をたよりに、色と形の中を泳いで、
色と形がなりたいような姿になれるよう、出会っている色と形を解放できるよう、
描いていく。

仲間の前進は喜ばしい刺激になる。
窓を開く事。

大きな光が漏れる窓を大きく開けるよう
つとめていきたい。
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by toktokpng | 2007-01-28 20:11 | 創作
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渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムに世界中のティアラが会した。グレースケリーやアン王妃が実際に所有していたものも展示され、世界でも珍しい趣向の展示会だと言う。
息を呑むようなダイヤモンドやエメラルドの輝き。とくに大粒のアクアマリンをいくつも配したティアラに心うばわれる。

なぜ、僕がティアラに興味をもったか。

ニューギニアにいた頃、海辺の村ですごしていると、色々な装飾品で身を飾る男達に出会った。それらは、犬の歯、豚の牙、木の実、植物の繊維で編んだロープ、貝殻などを巧みに組み合わせた胸飾りや頭飾りだった。それらの装飾品で彩られた褐色の男達のかっこいいことといったら、まぶしいようだった。
様々な文化があるニューギニアだが、どの部族でも、装飾されるのは男達である場合が多かったように思う。また、それらの装飾は精霊の祭りと関係してる事が多く、おそらく装飾品自体が精霊との関わりが深いものだったようだ。

ティアラは、18世紀頃に新古典主義の流れの中でヨーロッパ文化の中に復活したらしく、もとを辿ればエジプトや古代ローマにその源泉があるという。復活したティアラは女性の装飾品とされ、富と権力を示すものとして王侯貴族に必要な物になっていっと説明されていた。

しかし、ティアラにはやはりニューギニアでそうであったように、霊的な力との結びつきを象徴する役割、またティアラ自体が霊的に高まる為の道具としての役割があるような気がする。

頭を装飾するという事の、神秘性と、本能的なありかたに思いを馳せて100点程の豪華な品々に目を洗われた。

しかし、ほとんど、95%は女性ばかり・・少ない男も女性の付き添いという感じ。
男一人で見に来ている自分がちょっと浮いておりました。
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by toktokpng | 2007-01-28 17:08 | カルチャー

花は過去の輝き

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先週紹介したシュタイナーの色彩の本。一気に読み終わらないように、少しずつ書いてあることを体験するようにしながら読み進めている。

ここ数日のブログは、この本の気分に浸されていると思う。
昼の食事の時に読んでいると、花について「かつて神々が世界に働きかけたことが、春の花の美しさのなかに現れている」という記述があった。

秋の頃から葉が落ちて、枯れたような木の幹が、徐々に張りを取り戻し、輝きを示しているこの時期。樹木は維管束と導管で構成されているが、水を通す事のできる細胞は樹皮から数ミリだけだと言う。その生き生きとした活動の様子は、茶褐色の幹を見ていても季節毎の変化を捉えることが出来る。またそのような変化に気づくこと自体が楽しい。桜の木の幹はその変化が顕著だ。薄く桜色に色づいているようにも見える。寒さが厳しければ厳しいほどその桜色は濃くなると聞いたことがある。

そのような神々の働きかけが、春にあの美しい花を咲かせるのだ。だから、いま見ているこの桜の幹は未来を示している姿で、その脇で咲いているシクラメンから僕は過去に照らされているのだ。

もう、本は半分を過ぎてしまった。
読み終わるのが惜しいほど楽しい言葉が折り重なる。
もう少し、さらにゆっくり読み進めていこう。
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by toktokpng | 2007-01-25 13:57

平日のわたし

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会社が休みの時、私は自分自身の時間から印象をとり出して、色や形の中にそれを溶けこませる。
会社にいる私は、雑多な種類の「意味」のなかに埋没し、それらの「意味」を形や色に押し付け、並べ、整理して、新たな意味を作り出す。

そのように、絵描きの働きと、グラフィックデザイナーの働きは違っている。

どちらも、やっていると、色と形について多面的に考える事ができる。

絵を描いているとき、色達は生きていて、動こうとし、変容しようとする。
一方でデザインする時の色や形は死んだものであり、静止したものとして、取り扱われる。

動物たちと遊ぶか、動物を食べるか。野を耕すか、野菜を食べるか。そのような関わり方の違いに似ていると思う。

両方の関わり方をする事で、色と形についての学びは確実に深くなっていく。学びが蓄積する事。これだけが人が失うことのない財産。時間と空間を超えて、担うことの出来る宝。

願わくば、野菜を食べるだけでなく、フィールドにも居たい。願わくば、肉を食うばかりでなく、共に歩みたい。願わくば、死んだ色や形ばかりではなく・・・。

火曜はひと月ぶりに、タクシーで帰った。今夜、2月からかなりシビアな仕事量が見込まれると告げられた。

時間はゴムのように、使えば伸びが良くなるし、使わずにいると固くなって伸びにくくなるという話を今の会社の上役が言っていた。
そうかもしれない。

仕事のなかで学び得たことも、休みがとれたら、印象の中に放出し、キラキラと光るものを取り出そう。

そのように、忙しい日々に感謝。
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by toktokpng | 2007-01-25 00:22

コブシのつぼみ

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今朝は冷たい雨が降っていたが、昼にはすごくいい天気。会社のそばの公園の、コブシのつぼみも膨らんで、ちいさな毛がふさふさと、綺麗な青空に揺れていました。

桜の木の表面も、水を沢山蓄えて、まるで銅のようにテラテラと光ってはちきれそうでした。

ランチでは、お店のサービスで、パンナコッタとシャーベットを付けてくれました。キイチゴが一つ付け合わせてあって、その甘酸っぱさが、今日の天気にぴったりでした。
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by toktokpng | 2007-01-22 14:02

マリー・アントワネット

休日出勤だけども、八時には終わらせて映画を一本みる事にした。
ソフィア・コッポラの「マリー・アントワネット」

革命の敵の象徴とされた王妃を、一人の少女として、ソフィア・コッポラさんの平行視線によって、同時代の「女の子」としてみるブルボン王朝末期の情景を描いている。実際にヴェルサイユ宮殿でロケをされたという。

きっと日本の女の子達には、「ベルサイユのバラ」でこの時代背景に詳しかったりする人も多いと思う。きっとこの映画の視点はアメリカ・ヨーロッパでは新鮮だったかもしれないが、日本の女の子達には親和感のある描き方かもしれない。

しかし、美しい映像だった。色と光りについての理解とこだわりは、「バージン・スイサイド」のころから素晴らしかったが、さらに手法と緻密さが向上しているように感じた。

ソフィア・コッポラさんは、僕が属してる世代の「世代精神」を代表しているような表現者だと思う。世代精神は、その代表者のみにおいて個性となる。
僕らはその表現をみて、「ああ、こういうことだったのね。」と自分が表現し得なかったけれど、時代の空気として感じていたものを理解する。追従者として。

一遍の美術として、この映画を味わうなら、追従者として心地よく楽しめたのだ。
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by toktokpng | 2007-01-22 00:58 | 映画

休みの日

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今週は明日も出勤なので、土曜日の今日だけが休日。
毎日平均13時間会社にいて、仕事がスムーズにいかなかったりするとストレスもたまる。
ましてや、平日の仕事が溢れて日曜日に出勤するのだから、推して知るべしだ。

夕方頃になってやっと、体が動きだした。
子どもたちと笑ったり踊ったり。

子どもがテレビに夢中になりだした隙に絵の部屋にこもって制作。
制作の進行が滞ってなければ、ストレスはだいぶ半減する。

白いキャンバスに心をそばだて、色やカタチに耳をすまし、形のなりたいように色が動きたいように描いていく。何を描こうとしているのかは、筆を握っているときだけ何となくわかる。

コノハナサクヤヒメやカヤノヒメノカミの様子を捉えようとしてるのかもしれない。
智・情・意で言うなら、今日の絵はだいぶん情に寄った絵かもしれないが、たまには悪くないなと思う。

こうやって描いている作品全てが個展で発表できるわけではないが、
こうやって探っていきながら、ゴールにむけて一歩一歩進んでいくことが、
なにより幸せだ。

さて、心置きなく、せかせかした世界に戻るとしよう!
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by toktokpng | 2007-01-20 22:06 | 創作

こよみ・新月-大寒

昨日、今日あたり新月で、今日、明日あたりが二十四節期の大寒。

こよみというのは、数字で割り切れないほどの心情的な時間軸を表現している。「云々のころ」というように、「ころ」もしくは「候」というのがふさわしい、振れ幅のある時間への名称なのだ。

新月というのは、月の公転位置が太陽に対して地球の影になる時期をいうのだが、その様子を少し胸に描いてみる。

そうすると、光を逃してしまった月の様子とともに、強すぎる光から月を庇う地球の姿も浮かんでくる。
月は太陽の光を浴び続けている間、太陽から受け取ったものを地球に語り伝えている。そして新月の時だけその役割から時放たれ、月自身に立ち返る。そして、新しく生まれかわり、再び、太陽の言葉を地球に伝え始める。だからこそ新月と呼ばれる。

月が月自身に立ち返り光をはなたないとき、月は地球になにも放出しないのだろうか。

じっと胸のなかで、新月の夜を思い描くと、月が月自身に立ち返った新月の時にこそ、月本来の力を地球に放出するのを感じる。それは、なにもかもを許し、傷を癒やす力。それが月本来の力。

あまりに痛ましい事件が続くこの頃。大寒というにふさわしい北の風に吹かれた朝、そんな事を思った。

人の目に映らない光を浴びて、多くの人が許され癒されますように。
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by toktokpng | 2007-01-19 10:35