「らうん」とは僕がかつて暮らしたパプアの言葉で「旅する・ぶらぶらする」という意味です。光を描く画家、八坂圭が日々を見つめ、愛し、感じた事を福岡からつづっています。


by toktokpng
カレンダー

<   2007年 02月 ( 15 )   > この月の画像一覧

MOAと統合医療

日曜日。今日はMOAで統合医療についての学びがあった。
石原都知事や大西ひでお都議、高輪の東京療院の院長が来て話を聞かせて頂いた。

統合医療というのはいわゆる西洋医学の範疇に捉えきれないけれども、実際に人々を癒し救っている世界中の民間療法を医学の現場に取り入れていこうという考え方だ。そういう療法を西洋医学に替わるものとして「代替医療」と呼ぶ事もある。また、西洋医学の足りないところを補っていこうという事で「相補医療」と言う事もある。

米国立保健研究所(NHI)では、いわゆる西洋医学では解決できない病気・事例が多い事、また、西洋医学だけでは設備資材が莫大にかかってしまい、メディケア(国保みたいなもの)などの将来的な経済破綻を招くという事で、世界中の有効な代替医療を研究し、分類し、患者さんが自分の症状・状況に応じて西洋医学以外の選択肢も考慮に入れられるよう制度の整備を進めている。

例えば、よくお医者さんが「風邪を治す薬を発明したら、ノーベル賞ものだ。」と言われる。現代の医学は風邪の症状を抑える事は出来ても「風邪」自体を治す事は出来ない。多くの代替医療では風邪は人間の免疫系が起こす自家浄化作用だと捉えている。体の中に堆積した不要なものを熱や痰、下痢や痛みとして発散しているのだ。だから、風邪の症状を止めてしまう事は、不要なものをずっと溜め続けるという事になるので、大病の誘因となる事もある、と、考える。
また、「不定愁訴」といわれるような症状にも西洋医学は弱い。血液検査をしたり、血圧を測ったり、尿をとっても特に数値に異常はないのだが、患者さんとしてはどうしても体がすぐれない、気分も悪い、肩が凝る、腰が痛い、など、病名の付かない訴えだ。生活習慣病などと言われる症状もこういうところから始まったりする事もあるのだが、病名が付かないだけに不定愁訴は病院では取り扱いにくいらしい。
代替医療、特にホリスティック医学と言われるような考え方では、人間を体だけでなく、それを取り巻く環境、心、また一つの精妙なエネルギー体として捉える。そういう中では、不定愁訴はその人の状況を知る為に重要な足がかりとなり、またそういう症状を癒していく術も持っている。

MOAのハンドヒーリング(正しくは「岡田式浄化療法」)はNHIのなかで「エネルギー療法」という分類がなされていて、しっかりとその存在を認められている。

日本ではというと、未だに「あやしい」とか「宗教臭い」などと思われなかなか認知されていないが、MOAでは西洋医学のアカデミズムに乗っ取った形で世界的な実効データを集めており、これから数年でいくつかの論文とデータが国際社会に提示される。日本には応援者が少なくても、海外では待望されているようなので、社会的に認識されるのもそう遠くはないだろう。石原都知事や大西議員も政治家として国の機関にあたっておられる様子。大西ひでおさんは今年の参院選にチャレンジし、国政で統合医療の担当部署を厚労省に作るよう運動されたいとおっしゃっていた。

尾辻大臣も統合医療への動きには理解を示しておられたという話をMOAスタッフがしていたので、アメリカに遅れをとらないようになったらいいなと思う。

そうやって、社会的に認識され、ハンドヒーリングの資格があって、奇麗な療院があちこちに出来れば、僕も時間さえあれば「しんどーい」と訴えてる人を癒してあげられるわけだ。

たのしみ!
[PR]
by toktokpng | 2007-02-25 17:03 | カルチャー

オルセー美術館展

d0023742_16402136.jpg

フランスのオルセー美術館の収蔵品を日本に居ながらにして楽しめる。4/8日まで東京都美術館で開催中だ。
印象派のコレクションで有名な同美術館はもともと駅だった建造物を美術館にしつらえたもので、そのユニークさも展示品のなかに織り交ぜて紹介されている。

日本では印象派好きという人が結構いる。あんまりその他の絵画・美術には興味が無くてもモネやルノアールは大好きだという話を聞く事は少なくない。
だから、今回の展覧会もすごい混み様。会期中の土日は昼前には入場制限が出ているようで、すこしでも、人だかりの後ろからではなく鑑賞したいと思い土曜朝の開館時間にいく。会社員は土日しかチャンスが無いのだから仕方が無い。

まんべんなく収蔵品が持ってこられていたようだが、僕が印象に残ったのは、
ボナールの「水の戯れ、旅」。ルドンの「セーラー服のアリ・ルドン」「キャリバンの眠り」。
ボナールの「水の戯れ、旅」はとても大きな作品で、すこし謎めいている。構図の中に不定形なフレームがあり、そこにラスコー壁画のようなプリミティブな描線が成されている。そのさきに海に関する物語がおぼろげに描かれており、ボナールが捉えようとした四大(しだい)がよく伝わって来た。
ルドンは、大好きな作家なので別に理由があって印象に残ったわけではないが、魔王の子キャリバンを描いたこの小品にはこの時代の時代精神が如実に顕われていると思った。

印象派はそれまでの西洋美術の伝統でいえば、形式主義と自然主義をどうにか乗りこえつつあった試みである。芸術家は見えているものから、ただ見えているだけではない「何か」を描く方法を模索していた。その「何か」を苦もなく表現している好例として日本美術を見いだした。だから彼らはそれに熱狂し、ジャポニズム・オリエンタリズムが原動力となって新しい芸術運動が奔流した。
今回の作品群を通じて、きっとオルセー主催者側は、その事も僕らに感じて欲しいと思い企画したのじゃないだろうか。後期印象派の芸術家達が憧れ続けていたのは、僕らが今いるこの国の、光琳であり、北斎であり、NABESHIMA、KAKIEMONなのだ。それらを追う事で生まれて来た表現なんだなあというのがよく伝わって来た。

そしてちょうど最後の壁に、カレル・マチェックの「予言者リプザ」という大作があり、「あなた方の霊性と共通のものがここにありませんか?」と語りかけているようだった。

その絵を是非、行ってご覧になって下さい。
[PR]
by toktokpng | 2007-02-25 16:40 | カルチャー

昼の徒然

d0023742_13446100.jpg

雨が降っている。今週は雨が降ったり晴れたり曇ったり、目まぐるしい空模様。神さまの世界では、なにかお祭りでも行われているのだろうか。
僕の時間はそれとはあべこべに落ち着いて流れてる。おかげでネットで最近のニュースとか、気になる言葉をウィキペディアで検索したりとか出来る余裕があった。

昼休みも規則正しくとれていて、今日もいつものランチを食べたところ。写真がそのお店。アズーロというお店で、イタリア語で青という意味だと思う。店内は青を基調とした内装で落ち着く。

ネットを見て回ってると、ブログの多さというのに圧倒される。そしてその内容の充実にも。しっかりとしたテーマ・構造・読み応えの文章もたくさんで、日本中がしゃべりだしたような印象だ。
僕もそのおしゃべりな内の一人なわけだが、テーマ性のなさではどこにも引けをとらないかもしれない。

で、ふと、何時も書きたい事の核を考えてみた。

働いて、食べて、寝る。というだけの毎日なんだけど、思い通りに行かない事ばかりなんだけど、夢は大きく、道のりは遠い日々なんだけど、がまんしなきゃいけない事もたくさんなんだけど、目に見えない力に励まされて、楽しまされて、喜ばされて、生かされてますよ、皆さんもそうですよね。って言うこと。

そんな事を話したいんだと思う。

その喜ばせてくれる精霊たちの事を、その精霊たちと人との関わりを、親しみをもって、センセーショナルなところなんて何にもないくらいあっけなく絵にしていきたい。
d0023742_142382.jpg


あ・・やっぱりブログ書くことの核から気持ちがずれてしまった。

いや、、人気ブログと何が違うのかなと考えてみたんです。

読んでくれてるみなさんはどう思いますか?よかったらコメントくださいね。
[PR]
by toktokpng | 2007-02-23 13:44
d0023742_1356035.jpg

昼休み、外にでるとまぶしい陽光!瞬間、目を瞑る。
もうこんなに太陽が高く昇る季節になったんだなあ。その光の冴えた姿に、パプアニューギニアで過ごした時間が呼び起こされた。たった15ヶ月。いま思い起こすと人生のなかのほんの一部分なのだが、とても生き生きとした思い出の時間となっている。時間が分厚いとでも言えば一番近いだろうか。

今日は少しだけ、食後の30分ほど、頭のなかをその頃の時間に漂わせてみてもいいだろうか。

スピリチュアルとか、心とかについて少し書いたけれど、ニューギニアの人々で人生の物質的な一面しか見ていない人というのは珍しかったと思う。

ニューギニアにはもともと文字がないので、体系的なスピリチュアリズムがあるわけではないのだが、それぞれの部族に伝わる「目に見えない力とのお付き合いの仕方」というのは感じられたし、少しは話も聞いてきた。

暑い海辺の村を歩いて、僕を家族として紹介して回ってくれていたガブリエル。彼の何人もいるおばあちゃんおじいちゃん達。汗だくでたどり着いた小屋でパパイヤを切ってくれた、ビンロウ椰子で口が真っ赤なおばあちゃん。懐かしくてたまらないキランゲの村。

成文化されているわけでも道場があるわけでもないけれど、彼らの心情で僕が叡知だと理解している事をいくつか自分の為にも書き出してみる。

思いつくまま箇条書きに。
「精霊のことをむやみに話してはならない。」

「人に怒ってはならない。」

「何でも、持ってる人が持ってない人に分ける」

「朗らかでいる。」

「朗らかでない人や事はなるべくほっとく。」

「問題解決はとにかく時間に任せる。とにかく落ち着いて待つ。」

そんな感じで、精霊の事はむやみ(無闇)に語れないので闇のなかで色々教えてはもらった。けれど、そういう神秘の事は日常ではまるで無いことかのように生活する彼らは、普通だだの気のながいご機嫌なおっさんたちにしか映らない。

精霊の事で言えば、悪い精霊を呼ぶような陰気さを彼らは忌むのが上手い。

これは、「心の扉」を超えて人がそれぞれ自分で読み取れる叡知だと思う。本当にありがたい教えもスピリチュアルな「幸せの言葉集」も本屋さんではなく、自分の中にあるのだと思う。
生活を通じて学ぶ事。
僕もここでいまも続けていきたいと思う。

あ、30分たった・・・。

新富町のビルのパソコン画面の前に帰ろ。
[PR]
by toktokpng | 2007-02-21 13:56

沈丁花の香

d0023742_12382081.jpg

町のあちこちで沈丁花が咲いているのを見かける。鉢植えやちょっとした街路樹で。いい香りだ。

その色はどうしようもなく東洋的で、強いのに控えめで、清楚なのに色気がある。

昨日の雨にあらわれて、だけれどその後の晴天に鮮やかに照らされている。

梅もあちこちで香る。
やはり鉢植えだったり、庭木だったり。町に香りと色を提供してくださっているのは、この、新富・八丁堀近辺で生活されてる人々。日本人の趣味っていいよなあ。日本っていいよなあ。と、こういう時は思える。
マラソンの熱が過ぎさった東京。少しだけ町の気配が更新しているように感じた。
[PR]
by toktokpng | 2007-02-19 12:38

心の道を通って-2-

続きは明日、と書いておきながら、昨日はとうとう書けなかった。
失礼いたしました。

土曜日、浅草のMOA会館でハンドヒーリングのボランティアにいく。
正しくは、岡田式浄化療法という。昨年11月に3級という一番下の認定証を戴いてから中々実際に家族以外にさせていただく機会が無いので、制作もあるのだが土曜日の会に思い切って参加する。

これもまた、スピリチュアルなもので、その仕組みや変化はとても奥深いものだ。
昨日の話の続きで言えば、これは扉で、そしてその奥でもある。

和やかな心持ちをしていると、周りの様子が調和してくる。意地悪な心持ちををしていると、煩わしいことが次々にやってくる。そういう事ってないだろうか。「ああ、なんとなくあるある。」って思う人は扉を共有していると思う。「それって、逆じゃない?周りが先で、それに反応して心があるんじゃないの?」と思う人は、何度も何度も日常の中で実験してみて、自分を観察して欲しい。

もし仮にその実験が上手く行かないとしたら、自分で自分の心を動かせているかどうかも観察して欲しい。どんな人でも、いつでも自分の心を自在に取り扱える人はいない。しかし、まったく心を制御できない人もまた居ないはずなのだ。

心持ちがおだやかに変わると人当たりが良くなるから、周りの人もおだやかになっていくという理屈もあるだろう。意地悪な心の人には周りの人も面白くないから意地悪な事をするという理屈もあるだろう。でも、それは「心持ち」を表情なり行動なりで表現したあとの「人の反応」の事を言っていて、心理学の話になるかもしれない。僕が言う「スピリチュアルなものへの扉」はそうやって近づいてくる。

まだ先へすすもう。

おだやかな心持ちで道を歩いていると、花の香りや色彩に気づきやすくなる。意地悪な心持ちで歩いていると、道すがらにある心を喜ばせ得るものに気づきにくくなる。
これも、個人個人の経験で傍証できる事だろう。というか、してみてください。

おだやかな心持ちでいるときと、意地悪な気持ちでいるときとでは、同じような気候の場所でも、体感温度が違っている。
これも、それぞれの経験として体感できないだろうか。

そして、「心の持ち方で、自分を取り巻く空気の質が変わってくる。」という事を再認識できるなら、それが万人がもつ「扉」だと思うのだ。

非常に理屈っぽく言ってしまったが、「一人一人の心の有り様の総体が、世界の幸・不幸」だと言うための下地を共有して欲しかったのだ。

だから、環境問題とか、経済不安だとか、きな臭い国際情勢だとか、それは他人の心の問題なんだと思っていると、一人一人に跳ね返ってくるわけだ。そう思ってしまう人たちがみんな和やかな心持ちをしていると、大きな問題が小さな一人一人の心の解決によって快方に向かっていくのだ。

だから、他人の事よりもまずは自分が機嫌良くなる事。機嫌良くなれる術を身につける事。それが「扉」だとおもうのだ。いつでも機嫌良くなれるようになった人は周りの人を機嫌良くできる術を身につける事。そうやって、一人一人が中心にある、柔らかい輪が広がって、世の中の不機嫌を掃除していく。

それが出来て、物質・精神ともに豊かな文化が訪れるのだろう。

精神文化の面では、きっと100年先、200年先の未来からみると、ちょうどここ100年くらいが原始時代のように回想されるのではないだろうか。

それは、それで、開き直って、僕らは精神的に「原始の人」なんだってことで、ためらわず試行錯誤をしていっていいんじゃないか。それが、最近のスピリチュアルブームなんじゃないか。そういうのに乗り切れない人も、自分の「心」の存在の不思議さには目を向けて、神々と語り合ってもいいじゃないだろうか。

写真は先週12日の熱海の日の出。
皆に、あったかいの届け〜。
d0023742_901816.jpg

[PR]
by toktokpng | 2007-02-18 09:06 | 日常

心の道を通って

d0023742_2132347.jpg

仕事で国際展示場にいくことがあった。ビルの吹き抜けに写真のような「シャワーツリー」というインスタレーションがあった。
かなり高いところからシャワーがビルのホールに落ち、周りをみずみずしい空気で包む仕掛けだ。人工の滝で少しはマイナスイオン効果などもあるのだろうか、そこを通ったとき、ふとあたたかい気持ちになれた。
マイナスイオンとか、アロマとか、フィトンチットとか、なんとなく科学で傍証された自然の力を生活に取り入れる文化は、ブームのように広がり続けている。女性誌にはさらに先をいくような、スピリチュアルな代替医療がおしゃれに紹介され、「オーラ」についての特集がオカルト的な雰囲気をまったく感じさせずに組まれていたりする。

この十年で、確実にそういった未知なる自然の力への社会的受容のあり方というのは変化した。

ただ、シャワーツリーが所詮は滝の類似であるのと同じように、ファッションとしてのスピリチュアルは、深い精神性への気づきを与えるきっかけでしかない。
その扉を超えて、人間自体が精神的な存在であることを認識して、精神的な時空が個人一人の勝手な想像の産物ではなく、僕らが土地を国を共有して生きてるように、一つの大きな世界の内にあるんだという気づきに1人でも多くの人が出会えるなら、今のブームは嬉しいものだ。

しかし、扉で立ち止まる人も多いことだろう。

人はみな、ブームのスピリチュアルを知らなくても、そういった気づきへの扉をもっている。

それは、人の心だ。

この続きは、また明日。

今日は仕事が早く終わって、いまから同僚の誕生日を肴に一杯やるのだ。

なんて珍しい!

では、また。
[PR]
by toktokpng | 2007-02-16 21:32

春一番は吹いた

d0023742_86235.jpg

まだ、先週末の旅行の思い出にふけっているというわけではないが、
本当に天気がよかった。海を見晴らす丘の上に建った美しいMOA美術館の庭で
青空を背景に遊ぶ家族。
あいまいな日本の私は、あいまいに「一瞬」とは3秒の事だ、と定義しているのだが、
幸せとは「一瞬」であって当然だと思うし、あの青空の下、家族が皆笑顔だった時間が
その一瞬だったのだと実感する。
そこは、もう春だった。

仕事の日々も充実して過ごさせて頂いて、不満があるというわけではない。
しかし、ストレスやプレッシャー、緊張感が積もって、なにか自然な感覚が
麻痺しそうになる事がある。

昨夕、生暖かい風を、ふと感じた。
ニュースを見ると「春一番が初雪より先に来た」と報じられてた。

今年は、凶作かもしれないし、桜もその他の四季の移ろいも
あいまいなものになっていくかもしれない。

地球のリズムが狂いだしている。
地球もストレスやプレッシャー、緊張感が強すぎるのかもしれない。

それらも、大事な事なんだけど。

バランスが重要。

まず、そう思った人から、
自分で自分のバランスをとる努力を。

きっと、「3秒」あれば幸せすら実感できるのだから
[PR]
by toktokpng | 2007-02-15 08:17 | 日常

久しぶりの雨

d0023742_10215612.jpg

今朝は雨模様。
昨夜は会社がお世話になっている方々の接待に同席させていただいて、築地の市場の中にあるお店で、鮮魚づくしの料理を味わえた。
なんだか土曜日からずっと、ご馳走に縁がある。ありがたいことだ。

土曜日からずっと天気もよく、旅行中も熱海の陽光のなかを家族で歩く事ができ天気の精霊に感謝を重ねていた。
ただ、あまり空気が乾きすぎると、風邪の人や花粉症の人にはつらいだろうな、と、昨日思ってたので、今朝の雨空にまたまた感謝した。

旅行中、暴れまわっていた息子は、帰ってからすこし穏やかになった気がする。
朝起きて、まだ布団から出ない僕と妻と娘の頭を「イイコ イイコ」と言って撫でていた。

段々と成長していく。親も子も。同じ事が繰り返しているようでも、同じ事は二度とないんだ。

何でもない日常に、キラキラとした宝が詰まっている。

今日は心の内の愛を外に向かって伝える記念日。聖バレンタインの御守護のもと、あたたかい1日になりますように。
[PR]
by toktokpng | 2007-02-14 10:21

熱海・family reunion

無事、熱海へ。
土曜の夜から、父と母、妹と僕、それぞれの伴侶と子どもたち、あわせて9人で計6回の食事を共にした。これだけ全員がそろっているのは、随分久しぶりな気がする。

熱海は梅が3分咲きだった。小雨の影響らしい。こんなにあったかいのに、不思議だ。やはり、小雨だけでなく、冬の寒さが弱かった事も影響してるのは無いだろうか。
それでも、梅林はかわいいらしい花房をつけて、青空に映えていた。携帯の待ち受けサイズにしてこの記事に貼っておく。

大病をしたとは思えないほど、以前と変わらない父の様子。
MOA美術館の国宝や様々の美術品を充分見て回れた。

シュタイナーの色彩の本をあらためて読んだあとに、国宝の藤の絵の描かれた壷をみると、そこにシュタイナーが描いていたのとすごく似通った色彩への理解がある事を感じて、興味深かった。なにか心で感じる本当の色を表現する時、その「色」そのものを使うより、その色を生じさせる要素を描いた方が、正しく本当の色を表現させる事が出来るのかもしれない。これは、僕の今の作品にも生きてくる事。

何度かこの美術館に来てるが、くるたびに新鮮な発見がある。また、数回観る事でより見えてくる善さというものがある。

今回は、美術館に隣接する瑞雲会館というホテルに泊まったので、帰りの時間を気にせずゆったりとした気持ちで見る事が出来た。

子どもたちの元気に大人6人掛かりで真っ向からつきあって、大騒ぎの珍道中。
きっと、周りの人たちは騒がしかった事でしょう。申し訳ありませんでした。

とても、充実したfamily reunion。
みんな、ありがとうございました。
d0023742_7462826.jpg

[PR]
by toktokpng | 2007-02-13 07:46 | カルチャー