「らうん」とは僕がかつて暮らしたパプアの言葉で「旅する・ぶらぶらする」という意味です。光を描く画家、八坂圭が日々を見つめ、愛し、感じた事を福岡からつづっています。


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さくら舞う

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今朝、8時頃仕事を終えて一度家に帰ろうと宝町の駅に向かい歩いていた時、雨が大粒で降ってきて、すっとキッチンスイスの軒先に隠れた。

つむじ風が舞って、さくらの花びらがチラチラと僕の顔に向かって飛んできた。僕は一瞬、雨をよけながらさくらのトンネルを抜けてどこかへ連れて行かれるような想像をした。

目の前の信号が青になったので、濡れながら歩き出すと、花吹雪が僕を通り過ぎて、後ろの方でクルクルと円を描いて回転していた。
「あなたたちは風が吹くのを見、風の音を聞きます。しかし、その風がどこからくるのかは知らないのです。」

うろ覚えだが、聖書からの引用。

花たちはカサコソと音をたてていた。

灰色の街に、ふと僕がみた光景。

帰宅して、少し寝て、妻と昼食を食べ、会社へ向かう頃、もう空は青空が広がり、空には千切れ雲が泳いでいた。

僕らは音を立てる風のよう。どこからきたのかしらずに駆け巡る。
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by toktokpng | 2007-03-30 14:50

暖かくて

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今日あたりは花も満開になる、東京都中央区。
Tシャツの人も見受けられる。

こういう美しい日への感謝を通じて、柔らかい感情をこわばった思考の中に流し込んでいきたい。
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by toktokpng | 2007-03-29 13:56

さくらがさいた

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ちょっと遅い話題かもしれないけど、安藤美妃さん金メダルおめでとうございます。ビデオ録画で息子とその演技をみたけれど、隙のないフリー演技に「カッコイイネー!」と手をパチパチたたいていた。

日曜日は石川の地震があって、現地の人々のご心労が忍ばれた。おおくの貴重な文化遺産や、農本的な古日本人的生活が残る地域だと聞いていたので、それら守るべき物の安否と、それを守ろうとしている能登の人々の献身で胸が「ぐぅっ」っとなる。

そういう土日を超えて、月曜会社に戻ると、新富・八丁堀周辺のさくらもポツリポツリて咲き始めていた。
勢いはないが、思ったより色づいて、最後の寒の戻りが効いたのだろうか。

いま、深刻な自然環境の変化が目の前にやってきている。もう何十年も前から予測されて来た事が、現実に起きてきている。予測によれば、変化は起き始めると加速度的に広がっていくといわれていた。

随分前から心構えは出来ていたから、今さら慌てふためく事もない。そういう環境への負荷の強い社会から離脱して、隔離された生活を始めようとする仲間も大学生の頃はいた。しかし人間として生まれてきたら、人と人の繋がりのなかで全体として生きているのだ。遁世には意味はない。

自分の生活を、環境に負荷をかけすぎないよう見直すことは、その行いも貴重だが、そうせずには居られないという地球生命への気づきこそが意味ある事だと思う。

環境変化が自分に影響を及ぼそうとも、そうでなかったとしても、人間の精神が生きている事を通して学びを深める事。それが地球が実に欲している事。

ひょっとして、それで全体が向上したら、うまくすれば環境の変化の中で起こる被害が少なくなるかもしれない。

ただそれまでは、一人一人それぞれの持ち場で、与えられた勤めを果たしていくしかない。そこでの人間関係から学ぶことがまだまだあるはずだからだ。
その持ち場が、物質的文明をさらに促進させる職種だったとしてもだ。

さくらに宿る神々が、今年はとても寂しそうで、でも、今年も会えたねと言って笑顔で向き合って来た。
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by toktokpng | 2007-03-27 13:46
岡田式浄化療法について昨日書いたが、続きをすこし。

熱や凝りを根気よく探して、技術を施すと書いたけれど、では、どんな技術なのか。

それは、その見つけたポイントを意識しつつ、触れないようにそこに手のひらで覆うようにすること。
気功なんかとよく似ている。

大学の頃、東洋美術史概論の講義で、山水画の話をするにはどうしても気の流れという事を解らないといけないというので、講師が少しばかり中国の気功について話してくれた事があった。そのときの話で印象に残っているのは、テレビ等でパフォーマンスのように使われている気功は「外気功」といって、素人がやると気を消耗しきってへとへとになるという話だった。きちんと気を蓄える術をもってやらないと、気を発する事は危険だと言う話。

しかし、この岡田式浄化療法では、気の蓄え方など、習わない。
というのも、施術者は癒すエネルギーの通り道となるだけで、何も自分から失う物は無いのだ。だから手を当ててそこで行なわれてるのはエネルギーの交換でも補充でもなく、ただ、人と人とがやんわりとつながって、そのつなぎ目を通して、癒す力が入ってくるわけだ。
だから、うまくリラックスして行なう事が出来れば、疲れるどころかやる方も癒されてしまうのだ。

岡田式浄化療法ではそのエネルギーを「ある種の光」だと呼んでいる。

アメリカ国立保健研究所ではこのようなエネルギー療法についての研究が進められているようだが、それに関連するホリスティック医学の論文集を八重洲ブックセンターで立ち読みしていると、このようなエネルギー場を通して患部に作用する力は宇宙に偏在していると考えられているようだ。現在の計測機器で測定できる物はことごとく測定して、実際にハンドヒーリングを通じて色々な数値に換算できる現象も起きているようだ。しかし、その論文にも「エネルギー療法」はまだまだ未知な力によっているものだろうと書いてあった。

この「ある種の光」を効率よく患部に伝える為に自分たちが介在する方法を教えてもらうわけだが、この岡田式浄化療法では、その「光」は神の愛につながっているように思われる。

聖書をよく読むひとなら、「イエス様もそれをやられていたよね」と思うのではないだろうか。とても似ている物だとおもう。
実際、海外ではキリスト教徒の方々でもMOAの考え方に賛同して、この技をもって病の人を楽にする活動をしてる人々がいるという。

ほんと、科学でも段々、霊的な存在を証明するようになって来てるわけだし、もっともっと、人々が神様の事を具体的にわかってきたら、壁なんて取っ払って、宗教で争いを起こす事なんて、なくなると思うんだが。

下の絵はなんとなく、その介在する僕のあり方を絵で描いたもの。

実際、そういう大きな力の前では、自分なんて空っぽにしてしまった方がよっぽど役に立つようだ。いろいろ考えるよりね。
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by toktokpng | 2007-03-26 00:14 | MOA 岡田式健康法
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昨日の話の続きで、ヒーリングの仕組みに付いて。
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by toktokpng | 2007-03-25 23:46 | 創作

ヒーリング

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今日は休日。明日も休日。絵の製作に頭を使える。一瞬いい考えが浮かんだが、まだ機が熟さない感じ。そこらの紙にチラチラっとドローイングをして、深追いしないことに。

最近、息子がよく絵を描いている。丸のなかに、小さな丸を2つ、線を1本ひいた図柄をいっぱい書く。顔を描いてるという意識はなんとなくあるようだ。紙のなかにいっぱい描くのだが、その配置が面白い。四辺にびっしりその顔マークがリズミカルにならび、中央に、大きな顔とランダムな描線が重なる。その他にも整理されない要素がいろいろ散らばるが、全体として期せずして生まれる構図が認められる。

この期せずして得られる構図というのが、僕が大事にしていきたい絵画の要素なのだが、しばらくは息子がライバルなのか。

写真は彼が愛用のコップ。
時間を上手く利用して、MOAのヒーリングを午前は受け、午後は施してきた。
徹夜勤務など、ちょっとした仕事の山を超えたあとだったので、ヒーリングを受けてる最中、昏睡したように寝てしまった。その後、ずっと温泉にいった後のように、ぼーっとしていた。
午後、首の周りが凝っていてつらいという初老のご婦人に施術する。指さきで、どの部分が凝っていて、どの部分が熱があるのかをゆっくりと探す。

この、岡田式浄化療法では、体の中にある本来不要な要素が体内の循環器系のなかでうまく代謝されず残ってしまったものを代謝するように促進する技術だ。
自然治癒力や免疫系の活動を活発にして、病の元をとり除くようにする。
だから、どこにそういう不要物がたまっているか、またそれがどのような症状の要因になっているか、など、実地で学んでいかなければならないし、継続して観察しなければ、癒やすことは出来ない。まじないでもなんでもない、地道な健康法だ。

しかし、シンプルさ故に病気治癒にともなう反作用・副作用・環境への負荷の低さから、世界的に注目されつつもある。

最近は、アメリカの巨大な医療ネットワークとの共同研究も始まっているらしい。

この技術も、施す人の熟練度により効果が変わる。凝りや熱を的確に見つけて、効率的な順序で、技術を施していくのは、それは経験を要することだ。

なんどか僕も参加している内に、痛みを訴える人の変化がはっきりわかるようになってきた。熱を感じた部分が周りの温度と平均したり、凝りの表面が柔らかくなったり。

そういう変化を岡田式浄化療法では、浄化が促進するというのだが、とくにこの健康法をしらなくても、体が浄化促進する時がある。それが、風邪だ。薬で症状を止めてしまうと浄化も進まないが、2、3日風邪をひいてゆっくり休むとあちこちの凝りや違和感が消えていたりする。しんどいけれど。それと同じ効果をしんどさや痛みをなしにあげようというのがこのヒーリングだ。

というわけで、温泉の後のような、風邪のあとのような、ぼーっとするような、いい気分のような状態で今日を終わる。

こんな技術に出会えて、ありがたいものだ。

またまた、出会いに感謝。
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by toktokpng | 2007-03-25 00:11

ベニコブシ

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何度か写真を上げている、会社のそばの京橋公園にたつベニコブシ。やっと花が開きつつあるが、色が薄い。やはり桜と同じで冬が寒くないと、色素ができないのか。

もうひとつ、何度か観察していた柳だが、結局、葉が落ちきらないまま、新芽が芽吹いてしまった。

なにかがおかしい。
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by toktokpng | 2007-03-22 13:53

日本橋

もうすぐ祖母の傘寿である。祖母は昨年末に「おさんどん奮闘記」という本を出版した。そのお祝いも兼ねてなにか良いものを探したいと思っていた。

幸い今日は休めたので、日本橋の三越に行くことに。
良いものとの出会いを得るのは、精神が高エネルギー状態にあることが大事だと思う。

しかし、なかなか一歳と三歳の子供を連れて回ると、集中力はなくなってしまう。

そこで最近日本橋だけにオープンした、ハッピーローソンの一時保育サービスを利用してみる。

三越の向かい、プラネタリウムの隣にあって、ブルーナの絵が目印になっている。

二階の一角がプレイルームになっていて、保育士さんたちが見守ってくれる。料金は1人30分500円で最大2時間預かってくれる。

おかげでなかなか良いものとの出会いを得られた。感謝。

迎えにいくと、とても楽しそうに遊んでいた様子。

親子ともに大満足の日本橋の休日。少し散歩したけれど、なにか街の雰囲気もとても今の自分の気の状態とあっているように感じた。
好きな街が出来たのかも。
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by toktokpng | 2007-03-22 00:00

やさしいあおぞら

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明日はお彼岸。言葉からすると、今日までと明日からがこちらとあちらに別れるような感じだ。一年を四つに分けて、その一つが過ぎ去ろうとしているこの時、日々の経験はどのような印象を魂に刻んだろうか。僕の周りでは、いろんな可能性が芽吹くような予感をさせる事が続いているような気がする。

昨日は出社して、24時間後に帰宅する事が出来た。つまり、今朝9時頃家についたのだが、ちょっと休憩して昼過ぎに会社へ。そして定時(まぼろしに近い響きだが)に帰らせてもらう。そういうハードなスケジュールも以前ほど辛く感じなくなった。

ふと空をみると、雲の形がとても柔らかい。青の色も少しおとなしく、でも僕の勝手な想像だが、お彼岸をはさんで向こう岸の毎日はこのような穏やかさを孕んでないような気がする。今年はずいぶん気象に苦労させられそうな、そんな予感があるのだ。

それでも、芽吹くものは育ち、いくつかは倒木更新のプロセスへといざなわれるだろう。

佳き日々へ。
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by toktokpng | 2007-03-20 19:42

ひとまず

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昨日の絵で、「人の物語」は一旦終了。また、気がむいたら、絵ブログやりたいと思います。

絵ブログしてるあいだ、徹夜や夜中に家に帰ってくる事ばかりで、きっと絵ブログを企画してなかったら、全然記事を書けなかった事でしょう。

忙しくても、絵にコメントがついてたりメールが届いてたりすると、元気がでます。こう言う楽しみがあるといいですね。

ご覧になってくださった皆さん。ありがとうございました。
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by toktokpng | 2007-03-19 14:57 | 日常