「らうん」とは僕がかつて暮らしたパプアの言葉で「旅する・ぶらぶらする」という意味です。光を描く画家、八坂圭が日々を見つめ、愛し、感じた事を福岡からつづっています。


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みなさんこんにちは。

ミニ薔薇が庭に咲きました。

以前に住んでいた人が花壇に残していったミニ薔薇が雑草の様な逞しさで荒れ放題のなかに生きていたので、そのまま抜かずに置いておきました。

そしたら、ほら、ちいさな花をつけてくれました。

かわいい。

しばらくこれで恋ができますね。

今日もなんでもない一日ですが、なんでもない今日って呼びかけて、
筆とペンにゆだねてみました。

かわいいのが出てきてくれました。

太陽をあびて、地面を踏んで。

なんでもない今日を全身でいただきます。

ごちそうさま。




ひかりに体がなでられるようです。




いつもみなさんありがとうございます。




愛しています。




Love.

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by toktokpng | 2008-05-16 18:23 | 創作
みなさん、こんにちは。

さあ、この連載、最後ですね。

コメントやメールをくださった皆さま、ありがとうございました。

初夏を迎える、この時期に、皆さんと学びを共に出来た事を心より感謝いたします。

季節の移り変わりを、交響曲のように聴き、天体の奏でる音楽をわれわれの俗っぽい毎日のなかに響かせ、いつもと変わらない所作の中に、光を受け取りましょう。

今日は、実際の修行の道についての紹介でこの連載を終わります。

さあ、今日の一節です。


「世界は一冊の大きな書物のようなものです。この書物は創造から始まります。最初から最後まで読まねばなりません。そして、小宇宙の書と大宇宙の書を初めから終わりまで読むことを学ぶのです。もはや単なる理解ではなく、この書物は感情の中に生き、人間を全宇宙に融合させ、人間はすべての事物を地球の神霊の表現として知覚します。ここにまで至ると、人間はまったく全宇宙の意志に応じた仕方で自分に対します。これが神的至福です。」


いきなり、到達点から紹介させていただきました。この節のあとに、

「このような真理を受け取り、他者のために生きている人々も、最初は、高次の世界への利己的な憧憬に駆られてこの真理を受け入れ、その結果、他者のために生きるようになったのです。正しい修行の道はおのずと利己的な憧憬を断ち、最良の無私の精神を生み出します。」

と、述べられます。

この連載の11,12で紹介しました、エゴイズムの罠。

しかし、一方でどんな概念も教義になることを徹底的に避けてほしいというのも、シュタイナーの述べるところです。

エゴイズムの克服は、まさに正しい認識がもたらす、至福によって、いとも簡単に笑い声とともに手放されるものなのです。

ですから、その道なりにおいて、自己も他も、咎め立てするなにものもありません。

ただ、最後まで歩むという意図のみが、柔軟さをもって、屹立しているとき、無用のものは、いずれはがれ落ちていくのです。

現在世界中が唯物的な価値観にがんじがらめになりながら、一方で、興味と実利から、スピリチュアルな価値観がとても活発になっています。

多くの人が、認識の小径の入り口に佇んでいます。

そこから、高次への愛へと至る道を、薔薇十字会の修行法という事で紹介し、入り口でとどまらないあり方を、シュタイナーは指し示します。

最初に虹の7色の事から始まったように、最後も7つの段階として、実際の道を紹介させていただきます。

なお、この薔薇十字会的な修行の実際を、一冊の書物としてまとめたものがあります。

「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%84%E3%81%8B%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%A6%E8%B6%85%E6%84%9F%E8%A6%9A%E7%9A%84%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E8%AA%8D%E8%AD%98%E3%82%92%E7%8D%B2%E5%BE%97%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%8B-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E5%AD%A6%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95-%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BC/dp/4480086641

おそらく、今回の連載で、なにかを感じ取られている方は、この本への理解へと進みやすいかも知れませんので、紹介しておきます。

それでは、七つの段階を。

1.学習

2.イマジネーション認識

3.インスピレーション認識

4.賢者の石の製造

5.大宇宙と小宇宙の照応

6.大宇宙への参入

7.神的至福


この七つは、必ず段階をおって、経験されるものというわけではありません。

シュタイナーは、修行の実際において、言葉で伝える事のできない事があることを前置きしながら、導師の存在が必要である事を述べます。

認識の小径を歩むものは、全力で師を求めねばならず、師は全力で求めに応じると言います。

そして、薔薇十字的な師と弟子の関係は、絶対服従的なものではないと。導師は、言葉を語りますが、誰が何を語るかが重要なのでなく、真実そのものに語らせ、真実そのものが認識の小径を歩む人に働いて、感情を呼び覚まします。このことによって、認識がはじまるのです。

時として書物が師であることもあるでしょう。友人の何気ない言葉が導師の言葉を伝えてくれるかもしれません。また、あなたの身近でいつもあなたを困らせている人こそ導師かもしれません。

第一の段階の学習は、まさに、12回の連載で紹介してきたような内容を知る事そのものです。

ですから、今日まで、辛抱強く読み続けてくださった皆さんは、第一の段階を歩みはじめているとも言えます。

そして、第二の段階は、その内容をイメージし、伝えられた内容が実際息づく世界を思い描く段階です。
例えば、土星紀に鉱物としての人間が、とても昏い意識の中で、ワンネスを体験していた、という情報があります。
このことを、実際に。
では目の前に好きな石をおいて、その石が土星紀の名残としてそこに存在しているのなら、全体意識をを持った目の前の石という純粋な思考に、自分を一体化させていきます。

そのようなイマジネーション認識を、さらに一歩進めると、「その石」が今、自分の目の前にある事のかけがえのなさとして、石みずからがその存在の理由を明かすことを感じます。これが、インスピレーション認識です。直観を得ます。

この、インズピレーション認識を得る事で、自分を世界に組み込んでいる霊的な働きの力学的な動線を体験していきます。

直観に従って生きる事が、実際に具体的に人生を動かしていくという事を外的に体験する事も、この段階の道に呼応しています。

四つ目の賢者の石の製造とは、正しい呼吸を言います。

人間は、息を吸って吐くときに、エネルギーを変容させる力を宿しています。そのような正しい呼吸の型は植物に見られます。植物は、酸素を吸って、二酸化炭素を吐き出すという呼吸を細胞の中に持ちながら、なお一方で、二酸化炭素を吸って、酸素を吐くという、もう一つの呼吸を持っています。

この事の霊的な側面を意識的にイメージして、そこから直観するとき、人間は正しい呼吸の型として、すでに滅びたものを取り込み、生きたものへと変容させて吐き出す事が出来るという事を認識します。

そのようなエネルギーの変容をもたらすものの象徴として錬金術は「賢者の石」について語りました。

その賢者の石を自らのなかに作り出していく事が、4つ目の段階になります。

これは、「ヨーガ・スートラ」の中で語られる呼吸法と同じ事を言っています。

そして、第5の段階として、小宇宙としての自分自身と、大宇宙が、相関関係にある事を認識していきます。

フラクタルという事ですね。人体が発生し、時間を経過していく中に、全宇宙の進化が織り込まれている。目という器官が、光が存在した事によって生まれた事を感じ、喉という器官が、さらに高次の宇宙の在り方に対応した萌芽を宿している事を認識していきます。

私たち自身のなかに、世界が生きている。それを、しっかりと観察し見つめていきます。

この事によって、第六の状態、宇宙への参入が為されます。

私たち自身が宇宙自体を織り込んでいるように、その宇宙そのものの中に、「私」という存在がある。

その事を自己肥大する意識に陥らずに得るため、私たちは、いかに世界が壮大で、素晴らしく美しいかという事を、つねに自分たちの意識でしっかりと意図して見つめておく必要があるのです。

そして、すべての認識の門が開かれたときに、宇宙という限りなく壮大な書物が開かれます。

ものがたりのはじめから、おわりまで。

あなたにひらかれ。









さあ、これで、薔薇十字的な修行の道の端緒につきました。

すべて、必要な学びのための教材は、あなたの身の回りに一つもかける事なく存在します。

その道は、愛によって、完全に紡がれ、すべての人に、すべての時間、開かれています。

ただ、あなたが、一歩を歩みだす意図を持つ事だけが、条件です。



神殿を歩みましょう。

そのことは、あなたの日常において、友人から隔離されたり、仕事をやめなければならなくなったり、食生活を乱暴に一変させたりする様なものではありません。

むしろ、よりよき、父親であり、母親であり、営業マンであり、友人であり、団体の職員であり、アーティストであり、おじいちゃんであり、おばあちゃんであることを力強くさせるものなのです。


認識の小径において、神秘とされ、不思議さがあなたの好奇心を誘い、多くの事象に目をむけさせたとしても、真に、この世界を理解しようという道を、自己の世界への奉仕として歩むとき、なにも、不思議なことはなくなり、ただ、静か、なのです。



この、静かさは、キラキラと光る湖面に、ぷちぷちと爆ぜる、精妙な存在のように、心地よく振動するなにかをいつも抱いています。

そんな、静かな人が、歯並びのわるい歯をみせながら、顔をくずして、にこりとしてくれたら、僕らはそこに、流れ出るなみだと光をかんじませんか?



あなたのなかで、何かが存在の秘密を開示しはじめ、光を内側に感じるようである事を、心より信頼いたします。



最後までお付き合いいただきました皆様、本当にありがとうございました!

これで「薔薇十字会の神智学」の紹介を終わらせていただきます。

それでは、また。










感謝








 
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by toktokpng | 2008-05-02 14:34 | 創作
みなさん、ご機嫌いかがですか?

いよいよ、この連載も明日で終わりです。

日記は短く、気軽な物に。

そういうポリシーを大事にされてる方の日記を読むと、心がすぅっとしますね。

長い文章を、こんなところで読んでいただく事、なにか、場違いの様な観もありますが、袖すれあうも他生の縁。

おもわぬところで、プラチナのようなインスピレーションに出会う事もあるかもしれません。

本当に、辛抱強く付き合っていただいた皆様、ありがとうございます。

さて、今日の一節です。


「善悪いずれかの方向に向かおうとする力を認識しようとしない者は、人間の義務を怠ることになります。認識のための認識はエゴイズムです。高次の世界を見るために認識しようとする人はエゴイストです。この認識を日々の生活において直接実行しようとする人が、人類の未来の進化に奉仕しているのです。霊学の中に存在するものをつねに実行に移すことを学ぶのには、非常に大きな意味があるのです。

霊的な運動は未来の人類を形成するというはっきりとした目標をもっていることがおわかりになると思います。

—中略—

かつて、現在のアイルランドの近くにあったアトランティス大陸から、進化した人々が新しい文化を創造する為に東に移動していったように、現在、私たちは、人類が大きな霊的上昇を遂げる第六文化期の動因として働くという任務を帯びているのです。」


霊的な運動ということを、スピリチュアルと置き換えて捉えていただいても良いと思います。実に、ここ数年の精神文化への受容と認識のたかまりは、10代の頃からシュタイナーの本とともに歩んできた僕には、隔世の感を覚えます。

昨日のコメントにもありました、安岡正篤さんの陽明学、また古神道の知恵、出口王仁三郎などは、とても似ていることを述べていたりもします。そのほか様々な情報がありますが、共通する部分、補いあう部分、現時点では、矛盾するように見える部分、いろいろとあると思います。

そして、昨日と今日、霊的な認識とそれに関わる活動に隣り合わせているエゴイズムについて紹介しました。

シュタイナーの霊学は非常に多面的です。折にふれ、別様な言葉をつかって、ある霊的事実に光をあてることもあります。

その一つに、キリスト衝動という事があります。連載の最初に、人間の7つの存在領域について紹介しましたが、そのなかで、感覚魂・意識魂・悟性魂という事を紹介しました。

アーリマンという魔の存在があります。これは、ゾロアスターの中で述べられる存在です。これが、悟性魂というものに働きます。

ルシファーという魔の存在であった者があります。これは聖書のなかで触れられました。このルシファーが、感覚魂というものに働きかけます。

この二つが過剰に働きかけると、悟性魂は行き過ぎた唯物論的世界をつくりだし、感覚魂は、放蕩と怠惰の悦楽を生み出します。

この二つの間に存在するのが、キリストです、という述べ方をします。

それが、意識魂を突き動かすとき、それをキリスト衝動と呼びます。

これと、よく似た概念が、仏教で語られます。それを二河白道といいます。

阿弥陀如来が河の向こうに立って、招いておられる。人は河の前にたって、目の前に赤く燃えたぎる火の河と、凍てつく様な青く冷たい河を見る。その真ん中に、ただ一本、どちらにも属さない白い道が一本つづいている。人は、ただ、阿弥陀を見つめ、その一本の道を行け。と。

このような、イメージが宗教のなかで語られてきました。

そして、シュタイナーは宗教を超えた精神運動の道筋を整えようとしました。

さて、時代は汎宗教の時代へと進んでいきます。そのように、ある一つの宗教から独立する事のできる意識は、また、一方で、宗教の伝えてきた叡智を、真新しい形で受け取る事が出来るようになります。

それは、宗教者にしても同じで、霊的認識をふかめることで、より一層その信仰に基づきながら、とらわれることなく、事実に即して歩む事ができる時代になっています。

ここで使った言葉を、誤解のないように再度使って述べるならば、二つの河の真ん中に白い道を渡し、たもっている力は愛であり、それを弛むことなく歩ませるのはキリスト衝動なのです。

そのような認識において、日常を生きるとき、それぞれの人体と日常は、神殿となります。

神殿のなかでの学びと実践を、われわれ現代人は、遁世的な生活を必要とせずに歩む事が出来るのです。

その、具体的な方法と、機関を準備する為に全人生をかけたのが、ルドルフ・シュタイナーなのです。彼は、農業・医療・経済・芸術・そして教育の分野において、現代人が、現代人としての生活様式を放棄する事なく、精神的に充実させていく為のいくつも道筋を整えました。

それに、呼応するようにして、20世紀後半から現在にいたるまで、多くの精神活動が起こり、この世界に調和をもたらそうとしています。

温かい目で見守りましょう。

さて、われわれには、何が出来るのでしょうか。

芝生を貼り終わったアパートの庭の先には、雑木林があります。楠、栗、琵琶、椿、蜜柑、茶の木などが、雑然とさざめいています。

今朝、いそがしく朝の支度をしているとき、ふと、手を止めて、打ち捨てられた、林の木々たちが、それでも、果実を用意しているのを感じました。

それぞれの植物が、五月特有の薫りを発します。それは、生殖にかかわる薫りです。

僕の目は、光をみて、命をみて、そして、自分の子供たちをみて、宇宙の物語が一瞬にして展開し、喜び、感謝を胸に抱きます。

そのような連続が、われわれに出来る事です。

おおきな事ばかりが、世の中をうごかす運動ではないのです。

さあ、12回目が、おわります。

どうか、この日記において、あなたの毎日をことほぎさせていただけますよう。

ひとつ、ひとつの神殿に、心よりの感謝を送ります。

ありがとうございました!









 
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by toktokpng | 2008-05-02 11:15 | 創作